リーフレットを用いた心理作戦

第二次大戦中、米軍は日本兵の投降を促し、戦争終結を促すために、空中からリーフレットをばら撒きました。これは日本軍に対する心理作戦でした。米軍は、一枚のリーフレットを作るために、日本人の性格分析や日本文化を徹底的に研究し、様々なリーフレットを作成しました。食糧事情の悪い日本人に対して、寿司のような豪華な食べ物の写真を載せたり、家族が恋しくないか、というような言葉で、戦場の兵士が、日本の家族や故郷を懐かしく思うように仕向けています。リーフレットは米国国立公文書館に残されています。

 

“To bring about Surrender of Japanese Troops”; 915-150 Psychological Warfare; Records of the Office of the Chief of Naval Operations, Record Group 38; National Archives at College Park, College Park, MD.

 

2011 年3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きました。現在は海外に住んでおりますが、故郷の日本のことを思うと、悲しく、辛い出来事でした。あまり知られてはいませんが、戦時中の1944年12月7日に、紀伊半島東部の熊野灘及び三重県尾鷲市を中心とし、マグニチュード8.0を記録した巨大地震である東南海地震が起きました。

 

死者、行方不明者は1,233名となっていますが、当時の日本軍部の情報統制により情報が改竄され、また多くの一次的記録も消滅・散逸していることなどから、被害の全体が把握しにくく、今だこの地震の繊細はつかめていません。12月8日の各紙の一面トップは、いずれも天皇の大きな肖像写真および戦意高揚の文章で占められており、地震の被害の記事に関しては、紙面の最下部のほうに数行程度であり、日本軍部は敵国に地震の被害状況を知られることを恐れていたのです。(Wikipediaを参照)

 

しかしアメリカやオーストラリアなどの敵国はすでにこの震災による日本の被害状況を把握して いて、日本の真珠湾攻撃からちょうど三年目の出来事だっただけに、米軍は、この東南海地震の発生は日本への天罰だとし、そのことを描いたリーフレットや、下書きスケッチが幾つかありました。竜は、天罰の象徴として描かれています。アメリカはあらゆる機会を利用したリーフレットを通して、日本人に厭戦気分を与えようとしていたのだと思います。(MJ)