硫黄島戦の膨大な記録映像

米国国立公文書館には多くの硫黄島戦に関する映像資料が所蔵されています。1945年2月19日の硫黄島上陸数ヶ月前から、戦闘終結後の数ヶ月間にわたる期間に、米軍は多くの映像記録を残しています。

 

上陸直前の2月15日から18日までの映像を見ると、米軍が硫黄島へ向かっている船中の様子がわかります。グリッド線の入った硫黄島の地図を見ながら作戦会議を行い、双眼鏡で硫黄島方面を眺め、煙草を吸いながら会話をし、豊かな食事をしている米軍兵士達がいます。同時期の映像には、海上から攻撃をする艦砲射撃が多く残されています。米軍は、上陸前から硫黄島に猛攻撃を加えました。日本軍は艦砲射撃に対し、地下壕に潜み必死に耐えていました。硫黄島 の地下壕は、栗林中将の命令により作られ、壕は複雑に張り巡らされており、日本軍は米軍の強力な艦砲射撃と空爆を避けることが出来ました。

 

Photograph 127-N-110249; "Marines of the 5th Division inch their way up a slope on Red Beach No. 1 toward Suribachi Yama as the smoke of the battle drifts about them." Dreyfuss, Iwo Jima, February 19, 1945; Records of the U.S. Marine Corps, Record Group 127; National Archives at College Park, College Park, MD. [retrieved from Pictures of World War II at http://www.archives.gov/research/military/ww2/photos/, July 26, 2011] 「戦闘による煙の中、海兵隊第五師団が擂鉢山方面に向かって、レッドビーチNo.1を少しづつ上っていく」

 

米軍上陸日である2月19日、海兵隊兵士達は上陸用艦艇に乗り込み、硫黄島を目指します。海岸に到着後、今度は一斉に敵を目指します。皆腹ばいになり、匍匐前進で浜辺を上がっていきます。緊迫した光景を見て、撮影者も相当危険だったのではないかと思いました。

 

先日、同僚達と一緒に硫黄島の戦いを振り返るという意味でクリント・イーストウッド監督による 「硫黄島からの手紙」 “Letters from Iwo Jima”と「父親たちの星条旗」“Flags of Our Fathers” の二本の映画を鑑賞しました。これらの映画は硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いています。個人的には、日本の視点から見た「硫黄島からの手紙」に思い入れがありますが、「父親たちの星条旗」には、擂鉢山に星条旗を掲げた米兵達のその後の苦難や葛藤が描かれており、どれだけ硫黄島の戦いが壮絶なものであったのかということが伝わってきます。勝利した米兵でさえも戦後何十年にもわたり、精神的な深い傷を負ったのです。

 

以前に「硫黄島からの手紙」を見たことがあったのですが、もう一度見てみると、違う視点を持っていることに気づきました。一日に二十本近くの硫黄島に関するフィルムやビデオを公文書館で見ているので、脳裏に実際の映像が刻まれています。この二つの映画に出てくる米軍の上陸場面や海上からの艦砲射撃、硫黄島へ向かう途中の船の上でグリッド地図を使ったミーティングなど、多くの場面が映像記録と同じ様に描かれており、研究して作られた映画であることがよくわかります。

 

公文書館での貴重な映像を通して、硫黄島の戦いについて学んでいます。そして、後の世へ伝えていくことが私の使命だと信じ、日々仕事に取り組んでいます。(MJ)