442連隊退役軍人・Terry Shima氏インタビュー

昨年オバマ大統領は、第442連隊戦闘団に議会名誉黄金勲章を授与する法案に署名をしました。

http://www.whitehouse.gov/blog/2010/10/05/awe-inspiring-chapter-americas-history

 

442連隊は第二次世界大戦時、日系アメリカ人によって編成された連隊です。二十一もの名誉勲章を受け、米国史上最も勇敢な部隊であると言われています。

 

Terry Shima氏(写真はご本人のご承諾を得て掲載しております)
Terry Shima氏(写真はご本人のご承諾を得て掲載しております)

この度、442連隊の退役軍人であり、Japanese American Veterans Association(日系アメリカ人退役軍人協会事務局長)のTerry Shima氏に話をお伺いする機会がありました。Shima氏は、88才の今も精力的に442部隊や他の日系退役軍人の経験を伝える活動に従事しています。

 

Shima氏はハワイ出身の日系二世です。当時のハワイでは、日系人は最大のマイノリティーグループであり、学校や日常生活では差別を感じることはなかったということです。しかし日本の真珠湾攻撃で状況は変わります。しばらくの間、日系人に対し憎しみの目が向けられました。西海岸では状況がさらにひどく、日系人に対する警戒と弾圧が始まり、日系人は財産を没収され、収容所に入れられます。過酷な状況の中、米国に対する忠誠心を示すために、若い日系二世の男性達は、従軍することを決意します。日系人から編成される442連隊が作られました。

 

442連隊はヨーロッパの激しい前線地に送られます。イタリア、フランスでドイツ軍と戦いました。Shima氏は21才の時、召集され、イタリアに向かいます。442連隊では、米軍の広報活動に従事しました。多くの仲間がヨーロッパ戦線で命を落としました。

 

終戦後、1946年6月にShima氏は442連隊の一員としてアメリカに帰国します。この時、Shima氏にとって最も思い出深い出来事が待ち受けていました。ニューヨーク、ワシントンDC、ハワイにおいて、442連隊を歓迎するパレードや式典が行われ、その内容を広報として全米に伝えたのです。ワシントンDCにおいては、パレード当日雨となってしまい、トルーマン大統領の側近達が中止を申し出たそうです。しかし、大統領は絶対に式典を行うと主張し、雨に濡れながら442連隊を迎え、"You fought not only the enemy, but you fought prejudice…and you have won."(「君達は敵だけでなく、差別とも戦った。そして勝利した。」)と宣言しました。戦争当初は、日系人部隊は忠誠心の面から疑いの目を向けられていましたが、大きな犠牲を伴いながら、献身的に戦った結果、大統領からも賛辞を受けたのでした。

 

Accession number: 73-2233; “President Harry S. Truman (front row, left, in long overcoat) and other dignitaries standing in the rain, reviewing the 442nd Regimental Combat Team, the Nisei (Japanese-American) regiment,” July 15, 1946; Harry S. Truman Library, Independence MO [retrieved from Harry S. Truman Library's website at http://www.trumanlibrary.org/photographs/view.php?id=33643&rr=.] ハリー・トルーマン大統領(前列左、長いコート着用)と高官達が雨天の中起立し、日系二世で編成された442連隊戦闘団に対し閲兵を行なう。

 

戦後においても、日系人達は努力を続けました。軍の中でも昇進を受け、また議員を選出し、活躍を続けています。1988年にはレーガン大統領が、戦争中の日系人迫害について公式に政府として謝罪し、賠償金を払いました。Shima氏は、「私達は、正にアメリカンドリームの中を生きてきた」と言います。ご両親は、沖縄からさとうきび工場で働くためにハワイに移住し、戦争が起こり、迫害の中で従軍し、戦後は高等教育を受ける機会に恵まれ、今なお退役軍人としてご活躍中です。

 

Shima氏をはじめ、日系一世、二世の方々は大変な苦労をされてきました。一世は、仕事を得るため、生きるために、アメリカに渡り、厳しい労働や生活環境を耐え忍んできました。そのさなかに戦争が起こり、苦労して得た財産、仕事、家は取りあげられ、収容所生活を余儀なくされました。自分たちの故郷と、第二の故郷が戦争をしているのです。二世である息子達は兵隊になり、命を落としました。戦後も簡単に差別が無くなったわけではありません。国が謝罪するまでに、四十年を要しました。しかし、Shima氏に、政府に対する不満やまた置かれた状況を恨む言葉は一切ありませんでした。穏やかな笑顔とやさしい声で、私達若い世代に、442連隊や日系人のことを話して下さいました。Shima氏にとって、次の世代に自分達の経験を伝えていくことが使命なのだと思います。

 

Shima氏とは英語で話をし、インタビューを行いました。しかし別れ際は、お辞儀をしながら「どうも」と日本語で挨拶をして下さいました。その姿を見て、私の祖父を思い出し、懐かしい気持ちになりました。アメリカ人の寛容さと日本人の謙虚さという、両国の美点を持ち合わせるShima氏との出会いに感謝しています。米国に滞在する日本人として、もっと日系人の歴史を学んでいきたいと思います。(HK)