中島飛行機武蔵野製作所

私の通った高校は東京都武蔵野市北部にあり、「はらっぱむさしの」と呼ばれる広大な公園に隣接しています。出身高校は戦後飛行機工場の跡地に建てられ、工場は太平洋戦争時に空襲を受けたという話は聞いたことがありましたが、さほど気にとめることがなく、テニスに明け暮れたのどかで平和な三年間を過ごしました。

 

現在米国国立公文書館において調査をするようになり、たくさんの日本関係資料があることに毎日新鮮な驚きを持って取り組んでいます。ふと、この飛行機工場のことを思い出し、もしかすると公文書館に資料があるかもしれないと検索を始めました。データベースで調べると、数件の該当資料がありました。

 

この工場は、戦前の大会社である航空メーカーの中島飛行機が所有する武蔵野製作所でした。武蔵野製作所では、主にエンジンを製作していました。米軍の攻撃ターゲットとなり、公文書館には、米陸軍航空軍による爆撃報告記録が残っています。

 

1945年2月21日の記録によると、米陸軍航空軍第497爆撃航空軍が武蔵野製作所をターゲット357という番号をつけ、第一攻撃目標地としました。(下記の航空写真の左側真ん中には、357という数字が書かれています。)しかし、天候不順のため、第一攻撃目標地を回避し、第二攻撃地として東京の橋、建物と定め、東京の荒川の南部を攻撃し、化学肥料会社に損害を与えたことが書かれています。爆撃報告記録には、計画された飛行編成、爆撃機それぞれの攻撃情報、離陸時の順番など詳細な情報が残されています。

 

“Tokyo Area Nakajima Aircraft, Musashino Plant”; 500 BG Consolidated Mission Report 26, February 19, 1946; Records of the Army Air Forces, Record Group 18; National Archives at College Park, College Park, MD. 1945年2月の中島飛行機武蔵野製作所の航空写真。米国国立公文書館所蔵。

 


Mission Report 26, Nakajima A/C Engine Works Musashino Plant, Tokyo, Feb. 19, 1945; 497th Bomb Group, Records of the Army Air Forces, Record Group 18; National Archives at College Park, College Park, MD. 1945年2月19日東京中島飛行機製作所爆撃に関する任務報告書表紙。米国国立公文書館所蔵。

 


また、戦後米軍は日本全国において空襲の効果を調査しましたが、報告書の中に中島飛行機武蔵野製作所の記録も含まれています。写真を見ると、いかに空襲が凄まじいものであったのかということが伝わってきます。

(Source of the two pictures above) IV-C Nakajima Aircraft Company Ltd Musashino Plant Photographs; 17-9-12 WorkSheets – Nakajima Aircraft Company.LTD (Musashino Plant); Records of the U.S. Strategic Bombing Survey, Record Group 243; National Archives at College Park, College Park, MD. 1945年2月の中島飛行機武蔵野製作所の航空写真。米国国立公文書館所蔵。

 


中島飛行機武蔵野製作所に対する空襲は幾度にもおよび、200名ほどの方が亡くなられました。1現在、製作所の跡地では、昔の私のように高校生が青春を謳歌し、週末は広い公園に家族連れが賑わう平和そのものの光景が広がっています。しかし、六十数年前に同じ場所において、綿密な計画により米軍の空襲があり、甚大な被害をもたらしたことを米国の資料は語っており、そのことを覚えていきたいです。(HK)

 

1. 総務省一般戦災ホームページより 

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/tokyo_nishitokyo_city001/index.html