戦後の消防

米国国立公文書館Ⅱカレッジパークの2階に保管されている文書の中に米国戦略爆撃調査団(The United States Strategic Bombing Survey)関係文書があります。

 

この米国戦略爆撃調査団というのはウィキィぺディアによるとヨーロッパ戦線における戦略爆撃の効果や影響について調査、分析し軍事力設備に役立てる事を目的とした陸海軍合同機関とあります。1945年8月の日本の降伏後には太平洋戦域での調査が追加され1945年9月から12月にわたり長崎、広島、東京、大阪、神戸などで調査が実施されたようです。長崎と広島で原爆投下後に実施された現地調査を元に書かれた報告書はご存知の方も多いのではないかと思います。

 

今回は東京地区のField Report Covering Air Raid Protection and Allied Subjects, Tokyo Japan(東京地区の空襲保護と連合軍科目を対象とした現地報告書)の中の消防活動について幾つか紹介したいと思います。

 

RG243 (Records of the U.S. Strategic Bombing Survey 1928-1947) Box93 National Archives at College Park, College Park, MD

 

この報告書によれば日本の消防の歴史としては、1640年頃に武家火消と呼ばれる大小250の組が江戸の町の消火活動を幕府-奉行所の下行っていた事が始まりとあります。約178年間続く民間の私設消防組は1918年に始めて東京、大阪、京都、名古屋、横浜、神戸に政府下、消防団として設立されたそうです。

東京地区の消防署は1945年3月10日の東京大空襲以前は12地区に44管轄区域、287出張所あったようですが、100以上の出張所が3月10日と5月25日の空襲による火事で焼けてしまったと書かれてあります。

 

右下の写真は当時の消防隊の様子です。右上の写真ははしご車です。当時、東京にはしご車は3台しかなかったそうです。(1台はドイツ製2台は日本製)

 

RG 243 (Record of the U.S. Strategic Bombing Survey 1928-1947) Box 130 National Archives at College Park, College Park, MD

 

下の写真は木製の手動式消火ポンプで4人用と書かれています。このポンプに約3メートルと約19メートルのホースを繋いで使用、放水は15メートル程だそうです。

 

RG243 (Records of the U.S. Strategic Bombing Survey 1928-1947) Box93 National Archives at College Park, College Park, MD

 

次の写真はガソリンエンジンの手動式消火ポンプです。毎分454リットルの放水可能、ノズルが2つあり約3メートルと19メートルのホースを繋ぎ放水できるタイプで、このポンプは使用に4人から8人必要と書かれています。

 

RG243 (Records of the U.S. Strategic Bombing Survey 1928-1947) Box93 National Archives at College Park, College Park, MD

 

次は工場での避難訓練の様子です。1939年頃は従業員で構成された特設防護団消防隊というグループが各工場にいたようです。週に2,3回避難訓練を実施していたと書かれています。

 

上の写真は移動式手動消火ポンプ

 

RG243 (Records of the U.S. Strategic Bombing Survey 1928-1947) Box93 National Archives at College Park, College Park, MD

 

他にも当時使っていた消防設備や機械器具についての写真と説明、消防活動の歴史や詳細も書かれており、この報告書を終戦直後の11月に調査、作成した米国戦略爆撃調査団の情報収集力のすごさには感銘を受けました。今回、消防の歴史や戦前、戦後の消防活動の変化を少しでも知ることが出来、あらためて現代の消防設備の充実や消防体制の進歩に感謝し、日々生活していこうと思いました。(SW)