バンクーバーのパウエル通りにあった旧日本人街について

2008年の米国内のジョージア州のアトランタでの開催された時以来、ニチマイとしては毎年3月半ばに行われるアジア学会(Association for Asian Studies)の会議に参加してきました。(2011年の3月はハワイで行われましたが、東日本大震災のため、参加をキャンセルしました。) 

 

このアジア学会は1941年に組織され、今年で85年目を迎える歴史の長い組織です。基本的には、大学機関に所属する教職員や研究者、または博士課程に在籍する学生が発表者であったり、参加するというのが大半だと思いますが、中には、市民運動活動家や米国政府機関の職員、また私のようなリサーチャーのような立場の人間も参加者の中にはいます。

 

2020年春のコロナ禍のために、当時のアジア学会は中止となり、翌年の2021年はバーチャル会議となりました。が、2022年から通常会議が開催されるようになりました。しかしながら、その2022年から2025年までの4年間は、予算の関係で私は参加できないでいましたが、ようやく、久しぶりに今年の3月12日から15日まで、カナダのバンクーバーのコンベンションセンターで開催されたアジア学会に参加することができました。毎年参加者は増えていると思いますが、今年の参加者は3000名以上、またパネルセッションも600以上にも上りました。私は、日本関係のセッションに出ることが必要なので、現在の日本のボピュラリズム、在日コリアンの歴史、19世紀半ばの日本人の米国やカナダの移民などのトピックに関係するもので、合計10のパネルセッションに行きました。どのセッションも、大変有意義な内容で、たくさんのことを学ぶことができ、それらは、今後の資料調査活動に生かせると実感しています。

 


左:バンクーバー・コンベンション・センター             

右:センターの隣のカナダ・プレイス(クルーズ客船のターミナルでありアラスカへの出港地である。)

 


左:コンベンション・センターから見る対岸        

右:夕方のコンベンションセンター

(上記4枚は2026年3月14日(土)筆者撮影)

 

アジア学会は、事前に参加者には、バンクーバー市内のいろいろな団体が主催するツアーの紹介をしており、その中の一つは、バンクーバー日本語学校並びに日系人会館 (the Vancouver Japanese Language School & Japanese Hall:VJLS-JH) の主催による、「パウエル街:ジャパタウン 歴史ツアー」というものでした。平日はセッションに参加することで精一杯でしたが、最終日の15日(日)の日程が昼で終了したあとの午後にも、そのツアーが設定されていましたので、その日程で、すぐに申し込みました。集合場所は、コンベンション・センターからは車で10分くらい東に行ったところにある、バンクーバー日本語学校並びに日系人会館でした。館内では、まずバンクーバーの日系人の歴史についてのレクチャーを30分ほど鳥海ハリソン 氏(Mr. Harrison Toriumi-Gray)にしていただき、そのあとは彼ともう一人の杉山よし氏(Mr. Yoshi Sugiyama)に周辺を案内していただきました。今回は、そのツアーについてご紹介したいと思います。

 


左上:アレキサンダー通りの標識とその後ろに見えるのは、2000年にできた日本語学校の建物

右及び左下:左上の建物の隣の建物が、1928年に建てられた日本語学校の建物

(2026年3月15日、筆者撮影)

 

最初のバンクーバー日本語学校は、1906年にこのアレキサンダー通りの437番地に建てられました。このアレキサンダー通りは、当時の日本人街の中心であったパウエル通りの、右側(海より)にあります。バンクーバーに最初の日本人が移住したのは1877年と言われており1)、 本格的な移住が進んだのは、横浜・バンクーバー間の定期航路が就航した1887年以降でした。2)  当時の日本語学校は、日系人の子どもたちのための日本語及び数学や歴史など一般科目も教える通常の学校でした。が、日系人の子どもたちは、カナダの公立学校に通うようになり、この学校は、そうした子ども達の放課後に日本語教育を提供するようになりました。3) 

 

1928年には、シャープ・アンド・トンプソン建築会社(Sharp and Thompson Architects )がアールデコ調の斬新なデザインで新たな建物を作り、それが上の写真の日本語学校になりました。4)  このシャープ・アンド・トンプソンは、バンクーバーのダウンタウンとその西側にあるキツラノビーチを結ぶ「バラード橋(Burrard Bridge)」を1932年につくり、その橋は、アールデコ調の傑作とまで言われていました。5)  そうした有名な会社に依頼して、日系社会が費用を出したということは、当時の日系社会の財力があったことでもあり、その繁栄ぶりはすごいものであったのだと理解しました。”1928 Japanese Hall” と書かれた上の3つの窓の両端には、カナダのメイプルの葉と日本の楓(かえで)があしらわれており、カナダと日本の友好を象徴する意味を持っていたようです。

 

上の写真:鳥海ハリソン 氏(Mr. Harrison Toriumi-Gray)のレクチャーより(2026年3月15日)

 

上の写真:鳥海ハリソン 氏(Mr. Harrison Toriumi-Gray)のレクチャーより (2026年3月15日)

 

上の2枚の写真は、鳥海ハリソン氏のプレゼンテーションで紹介されたものの一部で、最初のものは、アレキサンダー通りの最初に建てられた日本語学校(木造)、そして1928年に建てられて今も現存活動している日本語学校の建物と、その右側には、2000年に新たに建てられたビルの存在についてあらためて理解できます。またその下のものは、1937年にバンクーバーの日本人街に昭和天皇の弟の秩父宮夫妻が訪問したときの様子でその写真内の右側には日本語学校のビルが見えます。日本語学校があったアレキサンダー通りもにぎわっていたことがわかります。

 

一方で日系人を含むアジア人への偏見や差別はいつも存在し、1907年に、日本人街の南側にあった中国人街への排斥運動・暴動がおこり、日本人街へも波及したこともありました。が、そうしたものも負けず、日系社会は成長をしていきました。しかしながら、1941年の12月の真珠湾攻撃をきっかけにして、カナダ政府は、日系人を西側から100マイル内陸部へ強制的に移住させ、彼らの住宅や商業施設などを含めて営みのすべてを奪い、売却してしまいました。

 

戦後になっても彼らは以前住んでいた場所に戻ることもできず、カナダ全土に分散して生きるか、日本へ帰るかを強制されました。ようやく1949年に元の場所に戻ることができましたが、彼らの財産はすべて何も残っていない状態でした。6) 

 

こうした歴史については、私達は真摯にもっと学んでいかなければならないと思っています。

 

現在のアレキサンダー通りやパウエル通りには、当時の面影をしのばせる建物がいくつか現存しています。

 


左:Dales House (デイルズ・ハウス):アレキサンダー通り沿いの1889年に建てられた家

右:Aoki Rooms (アオキ・ルームズ):アレキサンダー通り沿いの1898年に建てられた宿泊所

(2026年3月15日、筆者撮影)

 

日本語学校の建物がある、アレキサンダー通りにある、左の写真の建物は、バンクーバーで最も古い建物の一つで1889年に建てられました。最初はカナダ人の所有であったようですが、後に日系人が所有するようになり、そうしたことも当時の日系社会の繁栄ぶりが伺われると思いました。また右の写真の建物は、アオキ・ルームズと呼ばれ、当時の所有者のアオキ氏は、伐採業に従事して経験を積み、のちに新たにバンクーバーにやってきた日系人をここに宿泊させいろいろな面倒を見たそうです。こうした日系社会の助け合いのネットワークは非常に大事なものであり、それも、日系社会の繁栄に大きく繋がっていったのだと思います。

 



上段左:Girl’s School of Practical Art (女性職業訓練校):1930年代 アレキサンダー通り沿い

上段右:Maikawa Auto Supply (マイカワ・オート・サプライ):1926 アレキサンダー通り沿い

下段左:Maikawa Department Store (マイカワ・デパートメント・ストア)1908 パウエル通り沿い。

下段右:Fuji Chop Suey (フジ・チョプスイ・レストラン)1931 パウエル通り沿い

(2026年3月15日、筆者撮影)

 

上段の左の建物は、かつては女性職業訓練校で洋裁の技術を教えていたそうです。道路を隔ててその隣にあったのが、マイカワ・オート・サプライという自動車業界において大きなガレージと倉庫を持っていたらしく、当時の日系社会においてもすでに車を持つ人々も多かったのだと思いますが、そうしたことからも当時の繁栄ぶりが伺われると思いました。このマイカワ一族は、いろいろな事業を展開していたらしく、下段の左の黄色い建物は、いわゆる百貨店として繁盛していたそうです。また、その右の建物は、フジ・チョプスイという名前の日系人による中華レストランでした。「チョプスイ」というのは、日本でもなじみのある八宝菜と似ているもので、肉や野菜を細かく切り炒めてあんかけにしたようなものであったようです。

 



上段左右:Komura Building (コムラ・ビル):1905 パウエル通り沿い

下段左:Tamura Building (タムラ・ビル):1912 パウエル通り沿い

下段右:Secord Hotel (シーコード・ホテル):1889 パウエル通り沿い

(2026年3月15日、筆者撮影)

 

上段の2枚は、コムラ・ビルという建物で現在はフレンチ・レストランになっているようですが、かつてはコムラ雑貨店があったところで、入り口には、「KOMURA 269」という文字が刻まれており、当時は、店の前にこうした店の名前と番地を刻むことも習慣としてあったのかもしれませんが、ここにそうした商売をしていた日系人がいたことを実感してなんとも胸が熱くなりました。また、下段の左の建物は、タムラ・ビルであり、屋上の祠(ほこら)のようなデコレーションには、「TAMURA」という文字が見えます。このビルは、当時の一大ショッピング・モールのようなもので、銀行や菓子店、玩具店他いろいろな店が入っていたようです。右の建物は、もともとは1890年代に建てられたシーコード・ホテルというホテルで、20世紀初頭から1930年まで、日系人によって経営されていたようです。

 



上段左右:Oppenheimer Park (オッペンハイマー公園) パウエル通り沿い

下段左右:Vancouver Buddhist Church (バンクーバー仏教会)。1904, 1933, 1979 ジャクソン通り沿い

(2026年3月15日、筆者撮影)

 

上段左右の写真は、現在のオッペンハイマー公園です。当時は、パウエル球場と呼ばれており、1914年から1941年まで日系人による社会人野球チームであった「バンクーバー朝日軍」が活躍しました。体格ではカナダ白人とは差があっても、バンドや盗塁など機動力を駆使して優勝もしたそうです。今では公園となっていますが、桜の並木もあり日本の風情も感じられます。また下段左右は、現在のバンクーバー仏教会の建物です。もともとは1907年、この場所に日本メソジスト教会があり、仏教寺院は1904年にアレクサンダー通りに建てられたようですが、その後別の通りに移り、1954年にこの地に移ることになり、現在の建物は1979年に建てられたそうです。「仏教」と言えば「寺」になるかと思いますが、「教会」という言葉を使ったのは、当時は、「寺」という言葉はカナダ社会に受け入れられなかったと聞いています。こうした言葉そのものにも深い歴史があるのだとあらためて考えさせられました。

 


左右:ジャクソン通りの道路(2026年3月15日、筆者撮影)

 

上の2枚は、日本語学校の脇を通るジャクソン通りですが、道路のセメントの下には、枕木をさらに短く切ったような木が見えます。また、現在のストップサインの代わりに道路と道路の交差点には、細い石畳のようなものが引かれていました。こうしたお話を伺いながら、現存する建物を見る事はもちろん、こうした道路の状況などこまかな部分にも目を向けると、当時の日系社会の様子をあらためて垣間見るようで大変興味深いと思いました。

 

この日のツアーの参加者は、20名くらいであったと記憶するのですが、そのほとんどがアジア学会の参加者であったと思います。現在では、地元の学校の生徒達が、日系人の歴史を学ぶこと自体がカリキュラムの一環となっており、こちらのバンクーバー日本語学校並びに日系人会館がそうした生徒達のためにもツアーを提供していると伺っています。そうした機会は大変重要だと思いました。私自身も今回のツアーに参加して、本当に貴重な体験となりましたし、もっともっとカナダの日系人の歴史を真摯に学んでいかなければと強く思いました。バンクーバーにいらしたときには、是非この日系人の歴史を学ぶことができるこのツアーにご参加していただくことをお勧めしたいと思います。こうしたツアーを企画、またお話をしてくださった鳥海ハリソン 氏と杉山よし氏、またさらなるサポートスタッフの皆様に心より感謝申し上げます。(YNM)

 

 

注:

1) カナダ日本人移民史の概要:https://brokenpromisesjapan.com/canadajapanese/

2) 日本とBC州、総領事館の歴史:https://www.vancouver.ca.emb-japan.go.jp/jp/bilateral_j/history1_j.htm

3) Vancouver Japanese Language School & Japanese Hall:VJLS-JH、当団体の歴史:https://vjls-jh.com/ja/history/

4) Vancouver’s 106-year-old Japanese Language School now a Canadian Heritage Site - Part 1: https://discovernikkei.org/en/journal/2020/6/8/vjls-1/

5) Burrard Bridge (1932), Heritage Vancouver: http://heritagevancouver.org/top10-watch-list/2002/1-burrard-bridge/

6) 日系カナダ人地区史跡巡り:https://www.vancouverheritagefoundation.org/wp-content/uploads/2020/12/Japanese-Canadian-District-JAPANESE-web-res.pdf