退役軍人の死より

米国国立公文書館で調査を始めて、三年以上が経ちます。一枚一枚の資料に意味があり、時を経ても今なお生き続け、声を発しているように思える時があります。資料調査は大変ですが、その声を聞くことに夢中になっています。しかし、小さな発見が積み重なると、自己満足に陥り、大切な事を見失ってしまうことがあります。元米軍退役軍人であったシリル・オブライアン氏の死を通して、そのことを教えられました。退役軍人の方々の苦しみ、真の戦争の悲惨さをわかったように思っていましたが、実は全く理解していなかった自分に気づかされたのです。

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調査について

日系人記念碑の入り口
日系人記念碑の入り口

私達はメリーランド州にある米国国立公文書館・新館を拠点とし、日々多くのテキスト、写真、フィルム資料を調査しています。膨大な資料の中から、必要なものを探し出すのは大変な作業です。だからこそ欲しい資料を見つけた時の感動は何とも言えません。普段は新館で資料に目を通すことに没頭していますが、先日ワシントンDCのダウンタウンにある米国国立公文書館・本館に資料を見に行く機会がありました。私達は本館で日系兵士の資料を見た後、歩いてNational Japanese American Memorial(日系アメリカ人記念碑)を訪れました。

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思わぬ発見-反米扇動者

米国国立公文書館には膨大な資料が保管されていますので、よく知られている資料ではない限り、必要な資料にたどり着くことは容易なことではありません。調査は検討をつけた箱を開け、資料をみて一つ一つ確認する地道な作業になります。すぐに探していた資料があった場合は良いのですが、なかなか見つからない場合は、何十箱もの資料をひたすら見ていくことになります。プロジェクトによっては、何百もの箱を開き、確認します。たくさんの資料を見ますので、興味深いものもあれば、気持ちが沈むようなもの、感動的なもの、また今の時代から見ると不思議に思えるようなものなど様々な資料に出会います。

 

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442連隊退役軍人・Terry Shima氏インタビュー

昨年オバマ大統領は、第442連隊戦闘団に議会名誉黄金勲章を授与する法案に署名をしました。

http://www.whitehouse.gov/blog/2010/10/05/awe-inspiring-chapter-americas-history

 

442連隊は第二次世界大戦時、日系アメリカ人によって編成された連隊です。二十一もの名誉勲章を受け、米国史上最も勇敢な部隊であると言われています。

 

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硫黄島戦の膨大な記録映像

米国国立公文書館には多くの硫黄島戦に関する映像資料が所蔵されています。1945年2月19日の硫黄島上陸数ヶ月前から、戦闘終結後の数ヶ月間にわたる期間に、米軍は多くの映像記録を残しています。

 

上陸直前の2月15日から18日までの映像を見ると、米軍が硫黄島へ向かっている船中の様子がわかります。グリッド線の入った硫黄島の地図を見ながら作戦会議を行い、双眼鏡で硫黄島方面を眺め、煙草を吸いながら会話をし、豊かな食事をしている米軍兵士達がいます。同時期の映像には、海上から攻撃をする艦砲射撃が多く残されています。米軍は、上陸前から硫黄島に猛攻撃を加えました。日本軍は艦砲射撃に対し、地下壕に潜み必死に耐えていました。硫黄島 の地下壕は、栗林中将の命令により作られ、壕は複雑に張り巡らされており、日本軍は米軍の強力な艦砲射撃と空爆を避けることが出来ました。

 

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広島原発の建設計画:アメリカによる日本の原子力平和利用への推進論

3月11日の日本大震災からはやくも四ヶ月が 過ぎようとしています。想像を絶する数の方々が亡くなり、未だに7,200人以上の行方不明の方々が存在し、さらに11万人以上の避難生活を余儀なくされている方々の不自由さと困難を思うと胸がとても痛みます。福島の原発事故の処理状況も、放出された放射能による被爆の実態も不透明な中で、日本の多くの人々の生活が脅かされているという現実に、米国に住む私自身もいてもたってもいられないという気持ちでいます。

 

日本は、広島と長崎の原爆による被爆、米国の核実験による第5福竜丸の被爆、そして核兵器ではなく、地震によって、“平和利用”であるはずの原発が福島での事故によって、またもや被爆を体験することとなりました。日本においては、今回の事故をきっかけに、原発の歴史や、原子力の平和利用とは何か、といったテーマで議論がなされ、また多くの記事や本が出版されているようですが、日本における原子力の発展とその歴史を考える上で、米国公文書館に存在する資料はきわめて重要であると思います。

 

戦後直後から原子力の平和利用の考えは日本に存在していたようですが、本格的な動きは1950年代に入ってから起こります。国連におけるアイゼンハワー米大統領の原子力の平和利用演説があり、また日本は原発技術の習得や原子炉をイギリスやアメリカから輸入することとなりました。政治家はもちろん、産業界の要人、科学者達が中心となり、原子力委員会他関係機関が作られ、また日米間、日英間でも積極的な議論が展開されるようになりました。

 

当初は日本は地震が多いので耐震構造についても議論はされていたようですが、公文書館にある資料の一部を見た限りでは安全性に対する議論が深く審議されていたかを物語るものはまだ出てきていません。むしろ最新科学技術の発展の中で輝かしい功績としての原子力、あらゆる産業と経済の発展に不可欠なすばらしい原子力の発展を進めるべきであるという声が多かったようです。また原発は、当時の日本各地で大々的に開催された様々な復興博覧会や産業貿易博覧会の中で、偉大な原子力技術としては宣伝されていた傾向が強かったという印象でした。

 

米国では、1955年に民主党議員のシドニー・イエイツやアメリカ原子力委員会長官のトーマス・マレーが、広島に原子炉を建設すべきであると米国議会で主張しました。原子力爆弾で被爆し惨禍を蒙った広島において、平和利用という名であっても、中身は同じである原子力を使うという発想に私は衝撃を覚えました。議会記録を読んでみると、広島と長崎に続き、米国の核実験で不幸にも被爆してしまった第5福竜丸事件にも触れながら、同時にソ連との冷戦体制と核兵器競争の中で、軍事大国化し、好戦的なイメージの米国ではなく、もっと平和に貢献する国のイメージを強調すべきであるといったことが述べられていました。広島と長崎の原爆体験の記憶がまだ新しい中、広島に平和的利用としての原子炉を建設することは、そこに救世主が舞い降りるという姿と重なり、キリスト教的なジェスチャーとなると主張していました。これは極めてアメリカの勝手な理屈であると思いますが、その発想が私にはあまりにも突飛であり、理解することができませんでした。

 

この主張は当時のアイゼンハワー大統領には受け入れられることはありませんでしたが、当時のアメリカ国内ではかなり議論にはなったようでした。また、原子力の平和利用といっても、その原発で作られたプルトニウムから核兵器の製造の可能性を匂わすような資料もありました。1950年代の原子力をめぐる日米関係が現在にも影響していると思われるが故に、日本の原発問題を考えていくためには、1950年代の米国資料は鍵であり、きわめて重要であると思います。 (YN)

 

残留兵

米国国立公文書館を訪れる日本人研究者の間では、国務省の資料が最もよく見られているそうです。今まで私達は、主に軍事関係の資料を調査してきましたが、最近は非軍事関係の資料もよく見ています。私が先日見たのは国務省の資料で、1955年から1959年までに、東京の米国大使館が米国国務省に宛てた文書でした。選挙、政治、外交に関するものなど日本の状況が簡潔に述べられ、その当時の日本の様子を垣間見ることができます。

 

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米国国立公文書館イベント:映画 "Freedom Riders"

ワシントンDCに住んでいることの特権は、政府機関、スミソニアン博物館、諸々の非営利研究団体主催のイベントに無料で参加できることです。私達が調査を行っている米国公文書館においても、政治家を招いての講演会、アメリカ人に人気の家系調査(Genealogy)の講習、特別写真展示などほぼ毎日何かのイベントが行われています。下記のウェブサイトに、イベントの情報が載っています。http://www.archives.gov/calendar/

 

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無我の無我

太平洋戦争中に、米軍が捕獲した日本軍の関係資料の原本は、諜報部門で翻訳された後に、破棄または処理されて現存していないものが多いようです。しかしながら、それらの資料の原本のいくつかは米国国立公文書館にそのまま保存され、今でも目にすることができます。

 

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硫黄島米国退役軍人リユニオン&シンポジウム

シンポジウムでいただいたピン
シンポジウムでいただいたピン

第 66回硫黄島米国退役軍人リユニオン(記念会)&シンポジウムが、2011年2月17日から21日までバージニア州アーリントンで開催されました。私たちニチマイスタッフ三名はシンポジウムに参加させて頂きました。硫黄島米軍退役軍人や家族及び遺族、歴史家など合わせて120名ほどの方々が出席されていました。硫黄島の調査を始めてから二年経ったものの、今までに硫黄島退役軍人の方には一人しかお会いしたことがなかったのですが、今回たくさんの退役軍人の方々から直接お話を聞かせていただける貴重な機会を得ることができました。

 

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米海兵隊公文書館における調査

私達は普段調査をしている米国国立公文書館を離れ、バージニア州クアンティコにある海兵隊基地に行きました。ワシントン中心部から車で45分ほど南に下り、高速道路を降りると、硫黄島戦で有名な、星条旗を掲げる海兵隊員の小さな銅像が建っています。広々とした敷地内には、海兵隊の博物館や、海兵隊の大学があります。

 

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リーフレットを用いた心理作戦

第二次大戦中、米軍は日本兵の投降を促し、戦争終結を促すために、空中からリーフレットをばら撒きました。これは日本軍に対する心理作戦でした。米軍は、一枚のリーフレットを作るために、日本人の性格分析や日本文化を徹底的に研究し、様々なリーフレットを作成しました。食糧事情の悪い日本人に対して、寿司のような豪華な食べ物の写真を載せたり、家族が恋しくないか、というような言葉で、戦場の兵士が、日本の家族や故郷を懐かしく思うように仕向けています。リーフレットは米国国立公文書館に残されています。

 

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