オーストラリアの戦争記念館

オーストラリアの首都キャンベラにある戦争記念館についてご紹介したいと思います。オーストラリアの戦争との関わりは、1901年の建国以前の18世紀の入植の時代から近年の湾岸戦争への参加や現在の国連の平和維持軍の活動まで長くかつ広いものですが、この記念館の展示の主なものは、第1次世界大戦と第2次世界大戦に関するものであり、さらに現在も続いている中東地域の戦争に関するものも入っていました。

 

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米国議会図書館

米国国立公文書館でワシントンDCにある1900年前後の米国議会図書館- Library of Congress(通称:LC)の写真資料を見つけたので一部ですがご紹介したいと思います。

 

先に、米国議会図書館-Library of Congressは、1800年に創立されたアメリカ合衆国の国立図書館です。書籍、印刷物、音声資料、写真、地図、楽譜、映画、原稿など、現在もなお増え続ける膨大なコレクションと世界でも最大規模の蔵書数を誇るこの図書館には全米を初めとして世界各国から多くの人々が訪れています。(参照:Thomas Jefferson Building – Library of Congress) https://www.loc.gov/portals/static/visit/documents/QuickGuide-Japanese.pdf

 

こちらは米国国立公文書館が所蔵しているトーマス・ジェファーソン館の写真です。米連邦議事堂 (United State Capitol) から撮影されたと思われます。写真が布に貼られていてとても年代を感じますが建物の趣は変わりません。

 

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テニス選手~リチャード・ノリス・ウィリアムズ~

先月、テニスの4大国際大会の一つである全米オープンで大坂なおみ選手が優勝し、日本人初のシングルスでの優勝という快挙を成し遂げました。その報道を見ていて、ふっとNARAにテニス関係の資料がないのかなと思い立ち、調べてみることにしました。

 

今回は見つけた資料の中で、タイタニック号沈没事故の生存者であり、全米選手権やウィンブルドン、オリンピックでも活躍をしたリチャード・ノリス・ウィリアムズというテニス選手に関する資料をご紹介したいと思います。

 

リチャード・ノリス・ウィリアムズはアメリカ人の両親のもと、1891年にスイスのジュネーブで生まれました。彼が21歳の時に父親と一緒にタイタニックに乗船し沈没事故にあい、父親は残念ながら亡くなってしまいますが、彼はカルパチア号に救助されました。

 

下の資料は、カルパチア号に救助されたタイタニック号生存者のリストの一部です。一番上にウィリアムズの名前があります。

 

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花嫁学校

1945年に日本が降伏し第二次世界大戦が終わると、日本は連合軍占領下となりました。そういう中で日本に駐留していた米軍兵士と仲良くなり結婚する日本人女性も少なからずいました。そういう女性たちのために「花嫁学校」(Brides School)というのがあったようです。

 

米国赤十字社が1951年から「花嫁学校」を始めました。この資料によると1957年まで続いたようです。

 

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ハワイの日系移民

今年は、ハワイ日系移民150周年、ブラジル日系移民110周年を迎える年であることを報道で知りました。日本人は世界各国に移民していますが、その中でもハワイが最初の集団移民の土地であり、一番歴史が長いことになります。

 

はじまりは、150年前の1868年に約150名の日系移民が日本からハワイに渡りました。当時、商人であり、また在日ハワイ領事でもあったユージン・ヴァン・リード(Eugene Van Reed)が江戸幕府との間の友好交渉で約300人分の渡航許可を受けていました。しかしながら、日本は幕末維新期の激動期にあり対応できず、また明治新政府は旧幕府と交わした交渉を認めませんでした。その為、既に渡航準備を整えていたヴァン・リードは明治政府に無許可で最初の日系移民をハワイに送り出したそうです。この年は、明治元年にあたり最初の移民者を『元年者』と呼ぶそうです。(参照:ハワイ日本人移民到着150周年記念を祝して:https://kizunahawaii.org/

 この節目の年に、ここ米国国立公文書館に当時の関連資料はあるのだろうかと興味がわきました。ハワイ日系移民の関連資料の多くはサンフランシスコの分館に所蔵されているようなのですが、今回は米国国立公文書館のサイト上やここに保存されている一部の資料をご紹介したいと思います。

 

こちらは、日系移民が最初にハワイに渡った年と同じ1868年に記録され米国国務省が保管したハワイ政府の覚書です。この中の一面に、議会でのハワイ国王(ロト・カメハメハ - カメハメハ5世)の声明文がありました。そこでは、日系移民や貿易について次のように触れており、『Our negotiations with Japan have, so far been successful. Important and favorable results may be expected from the opening of trade with, and immigration from, that kingdom. 』(日本との交渉はこれまで成功しており、ハワイ王国との貿易開始や日本からの移民が重要かつ有効な効果が期待されるであろう。)としています。

 

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義和団の乱の写真

米国国立公文書館の写真資料室の壁際にはキャビネットが並んであり、資料請求のための手助けとなる各レコードグループのフォルダーが入っています。たまたま開けた引き出しの中に、Boxer Rebellionとタイトルのついたフォルダーがあり、写真が入っていました。これらの写真がとても興味深く、今回はそこにあったいくつかの写真をご紹介をしたいと思います。

 

Boxer Rebellionとは中国の義和団の乱のことです。1900年6月、義和団が北京にある公使館区域を包囲攻撃しました。その義和団を清の西太后が支持し、欧米列強に宣戦布告をしました。これに対し、日本、アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア=ハンガリーの8カ国の連合軍で、出動し、約2か月後に北京を制圧し、他の地域も含めてこの乱を鎮圧しました。

 

ここにある写真に目を通してみると、1900年から1901年までの中国の風景や建物、アメリカ軍だけでなく、日本やインド兵を含むイギリスなど各国の軍服や装備なども撮影されています。

 

近年、中国は経済的発展が目覚ましく、新しい建物が立ち並び、昔と様子がかわってきていますが、中国と言えば広大な土地と歴史的建造物を連想します。

 

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GHQ資料で見つけた引揚者たち

米国国立公文書館ではRG(レコードグループ)331にSCAP(Supreme Commander For the Allied Powers)の資料があります。SCAPは通称GHQもしくは進駐軍と呼ばれています。

その資料の中に引揚者に関するものを見つけました。この資料は共同写真通信からの写真のコレクションです。

弊社ブログ2015年5月12日付の「戦後の引揚~シベリア抑留者の帰還」がありますが、それも合わせてお読み下さい。

 

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Amelia Earhart (アメリア イアハート)

日本でも一度はこの名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?米国のカンザス州出身の女性飛行士で1932年に女性としては初めて、大西洋単独横断飛行を達成したことで広く知られています。米国では女性飛行士という肩書きや彼女が成し遂げた異例の飛行経験以外にも彼女の人柄を好む人が多くいたようで、彼女は米国でヒーローのように扱われたということです。しかし、着実に飛行士としてのキャリアを積み上げていた真っ最中、1937年、39歳の時に飛行機遭難事故により失踪し、2年後には死亡声明が発表されました。このアメリア メアリー イアハートの最後のフライトとなった飛行機遭難事故が彼女を最も有名にした事柄といっても過言ではありません。今回は米国国立公文書館にある、アメリアに関連した資料の紹介をしたいと思います。

 

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戦後の日本の風景―米軍のカラー写真から

4月半ばに入り、ようやくワシントンDC周辺も暖かくなり、桜も先週末から満開となりました。米国で桜を見るのもよいものですが、やはり日本の桜が懐かしく、恋しいと思いました。そんな気持ちもあって、今回は、米国公文書館にあります、戦後占領期の日本の風景や人々の様子をカラーで撮影した写真をご紹介したいと思います。これらのカラーの写真はすべてRG111 (Records of the Office of the Chief Signal Officer: 陸軍通信局長室資料)の中にあるもので、日本の様々な地域の風景、人々の暮らし、産業の様子などを含んでいます。

 

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タイタニック号(TITANIC)

日本でもよく知られているタイタニック号は、完成した当時は、世界最大の豪華客船として脚光を浴び、『絶対に沈まない船』とも言われていましたが、1912年4月15日に沈没してしまいました。当時、最も死者数の多い悲劇的な海難事故として100年以上経った今現在でも長く語り継がれています。

 

来月、タイタニック号沈没事故から106年目を迎えます。米国公文書館にある、タイタニック号の沈没事故に関連する資料の一部をご紹介します。

 

当時の新聞に『どのようにタイタニック号が沈んだか』という見出しで生存者の体験談が載せられていました。船が沈没し、救助船でニューヨークにたどり着いた際の生存者の方の証言を載せた新聞記事です。 

 

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WAR DOGS

2018年(平成30年)が幕を開けて早くも1ヶ月が経ちました。今年の干支は戌ですね。そこで、犬に因んだ関係資料を調べてみました。

 

最近でも、その優れた嗅覚からがんの有無の判定ができる『がん探知犬』としての医療の最先端に貢献する犬の話題や、2012年には犬好きで知られるロシアのプーチン大統領に東日本大震災の復興支援への返礼として日本から秋田犬が贈られるなどの外交としても活躍してくれている話題など、犬に関してのニュースも見聞きします。

 

さて、ここアメリカ国立公文書館には、アメリカ海兵隊資料の中に『Dog Service Record Books』という資料があります。これは、戦争で使用されたWar Dog(軍犬又は軍用犬)について纏めた資料です。このシリーズは1942年から1945年までの記録で、全11箱あります。各々の犬のデータが通し番号付きの一冊の手帳になっており、892頭のWar Dogが登録されています。War Dogと言うとドーベルマン種の様な犬を想像しますし、確かに殆どがその種類になるのですが、今回は、それ以外で目に留まった2頭の手帳をご紹介したいと思います。

 

こちらは「BUTCH」の手帳です。ジャーマンシェパードのオス犬で当時3歳でした。1944年3月31日から1947年3月17日の除隊までの記録がされています。その内容は、飼い主との誓約書やトレーニング内容、配属場所などが記載されています。

 

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アイヌ民族

今から約4年前の2014年、ペンシルバニア州フィラデルフィアで開催されたアジア学会でAinu Pathways to memoryというドキュメンタリー映画のExpoに参加したことがありました。

 

ドキュメンタリー映画監督は Marcos P. Centeno氏で日本人ではない事にも驚きましたが、映画はアイヌ民族の歴史や文化、アイヌ語を保存する活動について丁寧に掘り下げて作られており、とても見ごたえのある約80分の作品でした。アイヌ民族が北海道、樺太、千島列島の先住民族であり、日本政府(和人)やロシア政府によって土地を奪われ、民族としての権利を剥奪された事や差別に苦しんだ過去なども映画を通して知りました。また、このドキュメンタリー映画を見た後、アイヌ民族についてあらためて自分なりに調べてみました。

 

アメリカ国立公文書館にはアイヌ関係の資料や写真も保管されているので一部を紹介しようと思います。1949年の新聞記事の切り抜きの為、見えにくいとおもいます。

 

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