戦場における敵兵への敬意

2026年も7月半ばとなり、今年の半分以上があっというまに過ぎてしまいました。米国国立公文書館のリサーチルームは平常通りに開館しており、学生の夏休みの半ばでもあるので、今月に入ってからさらに利用者数は増えてきているように感じます。

 

先日アラスカ関係の調査をしていたときに、ある1枚の写真をたまたま見つけました。その写真をきっかけに、戦争の狂気の中にも、敵兵に関する慈悲や敬意といったものは存在していたのだということを考えました。もちろん、戦争の中のほとんどの兵士は、それぞれの部隊の命令に従い、敵兵への憎しみにたぎり凄惨な暴力を行使することに集中しなければならなかったのではないかと思いますが、それでも個人によっては、敵味方を超えたところでの慈悲や敬意を持とうとしていた場合もありました。今回はそうした事柄に関しての写真を少し紹介できればと思いました。

 

Jap tribute to fallen American:In contrast to the usual Japanese attitude towards enemies is this sign created by “Nippon Army” over the graves of a U.S. pilot shot down during a raid on Kiska. Found by the invading Allied forces, the sign reads: “Sleeping here, a brave air-hero who lost youth and happiness for his mother land. July 25, Nippon Army.” No. W-PU-48-53171, Box 12. RG80CF (Records of US Navy, Classified Files), National Archives in College Park, MD. 

上の写真は、アラスカのキスカ島で撃墜された米軍機のパイロットを日本軍が埋葬した墓標の写真です。その墓標には、”Sleeping here, a brave air hero who lost youth and happiness for his mother land, July 25. Nippon Army.” と書かれているのが見えます。こうした戦争がなければ命を落とすこともなくたくさんの幸せを満喫できたはずの若者への鎮魂の意図もあったのだろうと感じます。

 

キスカ島から西へ300㎞離れたところにあるアッツ島では1943年5月に米軍約1万1千名が上陸し、その島にいた約2600名の日本軍は激しく抵抗し、29名の捕虜以外のほとんどの日本兵が戦死した凄惨な戦いがありました。その後キスカ島では、撤退作戦が計画され、米軍がすでに周囲を取り巻いているような非常に困難な状況の中で、島周辺の濃霧を利用し、米軍のスキを突きながらキスカ島にいた日本兵約5200名の全員の撤退作戦は、成功し、「奇跡の撤退」と呼ばれました。この作戦を成功させた海軍指揮官は、木村 昌福(きむら まさとみ:1891-1960)は、慎重でかつ的確な判断をしながら優れた指揮を執り、また敵味方を問わず人命をおろそかにすることはしなかった人物と知られていたようです。そうした人物が指揮官としてキスカにいたからこうした米兵パイロットの墓標も作られたのかと思いました。

 

キスカ島に上陸した米軍が、この墓標を見たときに、通常の日本軍が敵に対して行う事について米軍がもっていたイメージと異なるものであったために、かなり驚いていたようです。

 

米軍は、日本軍が残した様々な要塞や兵器他を点検し、戦争が終結するまでは、軍事的拠点の一つとして整備をしました。このキスカ島の米軍上陸時の写真は、まとまってありますが、それらのいくつかを以下に紹介しておきたいと思います。

 

Message to Americans left on wall of hut taken over by advanced C.P. ATF-9. No. 53033. Box 12. RG80CF (Records of Department of US Navy, Decimal Classified Photographic Files 1916-1945), National Archives in College Park, MD. 

 

上の写真は、おそらくキスカ島の日本軍の地下司令部であったかと思われますが、日本軍が壁に書き残した英文がありました。“You are dancing by foolish order by Roosevelt. We shall come again, and kill out separately Yanki-joker.” と読めます。

 


Left: Kiska Beach. Interiors of bombed Jap seaplane hanger. August 1943. No. 53023. Box 12.

 

Right: Jap two-man sub. August 1943. No. 53092. Box 12. 

 

Both from RG80CF (Records of Department of US Navy, Decimal Classified Photographic Files 1916-1945), National Archives in College Park, MD. 

 


Left: Jap bayonet practice suit. (The face mask, breast plate are pads, foot pads appear to have been rigged up as a dummy gunner) 8/22/1943. No. 53054. Box 12.  

                 

Right: Japanese shrine. (L to R) Lt. Col. Albert V. Harth, of Bismark, No. Dakota; and Pvt. 1/c., L.B. Hamlett of Edgewood, Iowa. August 1943. No. 53059. Box 12. 

 

Both from RG80CF (Records of Department of US Navy, Decimal Classified Photographic Files 1916-1945), National Archives in College Park, MD. 

 

上の4枚の上段の写真は、米軍の爆撃によって破壊された水上飛行機基地と二人乗りの潜水艦、また下段の写真は、見せかけの砲撃手としても使われたとされる、面、甲手/小手、胴、垂れ、などの剣道具、そして神社の写真です。これらの写真を見て、凍土の島に駐屯していた日本兵達がどのような思いで生活をしていたのだろうかととても気になりました。

 

Jap suicide plane attacking the USS Misouri (BB63) somewhere in the Pacific. No. 315811. 4/11/1945. Rec’d 5/8/1945. Off Okinawa. Ships History Section, 5/2/1969. No. 315811A. Box 1176. RG80G (Records of the Department of the Navy General Photographs 1918-1945.), National Archives in College Park, MD. 

 

Fire aboard the USS Missouri (BB-63)which resulted from a Jap suicide attack. (4/11/1945.) No. 278968. Rec’d 11/2/1945. Box 916. RG80G (Records of the Department of the Navy General Photographs 1918-1945.), National Archives in College Park, MD. 

 

上の2枚の写真は、沖縄戦が激化する中での、1945年4月11日、米海軍戦艦ミズーリの脇に体当たりをしようとした特攻機の様子と、その激突後の様子の写真です。この特攻機の主翼は、船体に激突し、特攻機のパイロットも戦死、機体もバラバラとなり、戦艦ミズーリの甲板上では火災も発生しました。が、この戦艦ミズーリの兵士達によって直ちに消火作業が行われ米軍側の人的被害を出すことなく済んだと言われています。

 

この戦艦の、ウィリアム・M・キャラハン艦長(Captain William M. Callaghan:1897-1991)は、兄をガダルカナル戦で亡くしていましたが、この特攻機のパイロットは、国のために勇敢に戦い命をささげた軍人であるとして、敬意を表して、翌日4月12日に米海軍式儀礼に則った水葬を行いました。

 

Top left and right: No. 315821 and No. 315822

Middle left and right: No. 315823 and No. 315824

Bottom left and right: No. 315825 and No. 315826

All: Burial at sea aboard the USS Missouri (BB-63). (4/12/1945) Rec’d 5/8/1945. Box 1176. RG80G (Records of the Department of the Navy General Photographs 1918-1945.), National Archives in College Park, MD. 

 

キャラハン艦長を除くこの戦艦ミズーリの海軍兵士達は、当時にはもちろん命令には従ったものの、敵兵に対して水葬することに同意していたわけではありませんでした。が、晩年になって、この艦長が行ったことは正しいことであったと皆認めたそうです。また、1945年4月12日は、沖縄戦の最中であったこと、またこの日に当時のルーズベルト大統領が高血圧性脳出血のために亡くなったこともあり、このキャラハン艦長が行ったことは当時はもちろん、戦後もしばらくは注目されることがなかったようです。

 

しかしながら、現在では、ハワイの戦艦ミズーリ記念館(Battleship Missouri Museum)は、南九州市の知覧特攻平和会館からの協力を得て特攻隊についての展示も行っていることがわかりました。

 

この戦艦ミズーリ記念館が紹介している、「第二次世界大戦で最も慈悲深い瞬間:戦艦ミズーリと神風特攻隊の物語」:https://www.youtube.com/watch?v=ai8avK-bQwk をご覧いただくとこのキャラハン艦長やそこで命を落とした日本軍パイロットについての詳細がわかります。

 

戦場では、生きるか、死ぬかという2つの選択しかないという極限の状況であり、そうした中で、敵兵のことを考えること自体、大変困難なことであると想像します。それでも、自分たち同様に、それぞれの任務を全うしようとした敵兵に対しての慈悲や敬意を持ち、行動したことは本当に尊いことであり、こうした歴史的事実については、私達は謙虚に学ばなければならないと思いました。(YNM)