戦後まもなくのコレラに関する資料

暫定予算案を巡って共和党と民主党が対立し、その結果、今年の10月1日から政府機関の閉鎖に突入してしまいました。米国史上、最長の43日目となった11月12日(水)の夜にようやく可決して、米国史上最長の政府機関の閉鎖は解除されることになりました。米国国立公文書館は、翌日内部で調整をして、14日(金)から再開しました。

 

この政府機関の閉鎖は、政府職員だけでなく、政府機関内で仕事をしていた民間会社の人々はもちろん、私達のようなリサーチャーにとっても、深刻な影響を与えることになりました。私自身は、その間、これまで取り組んでいた各プロジェクトのデータ整理作業を進めたり、ニチマイ米国スタッフで進めているメリーランド大学のプランゲ文庫スキャニングプロジェクトの準備作業に入ったり、またプランゲ文庫コレクション内の地図資料や寄贈資料、また米軍関係資料などの調査も始めたりなど、いろいろな対応をしてきました。

 

今回は、プランゲ文庫の中の、戦後日本を間接統治した占領軍による非軍事の分野における活動を月ごとにまとめた報告書について、またその中の記述に関連した米国国立公文書館にある写真についてご紹介をしたいと思います。

 


No. 7 April 1946 from Summation of Non-Military Activities in Japan,  April 1946-Dec 1946. Summaries prepared by SCAP of non-military activities, Reports and Documents, Gordon W. Prange Collection, University of Maryland Libraries

 

戦後の日本の間接統治を統括した、連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers:SCAP)は、日本では、総司令部(General Headquarters)の頭文字をとってGHQと呼ばれました。この司令部が、1945年9月(No. 1)から、1948年4月(No. 35)まで、日本における非軍事活動の概要(Summation of Non-Military Activities in Japan)という報告書を毎月作成していました。米国国立公文書館には、RG331(Record Group 331: Records of Allied Operational and Occupation Headquarters, World War II)の、例えばエントリーUD1273のBox 1378-1380をはじめ、いくつかのエントリーにまたがって存在しています。

 

プランゲ文庫コレクションの中にもこれらの報告書のうち、1946年4月分(No. 7)から1948年4月(No. 35)までのうちの21冊がありました。これらの報告書は、選挙、内閣、政党、憲法、戦争協力者の追放、天皇、食糧難対策、インテリジェンス、戦争犯罪の裁判、日本の裁判所や警察、検閲などを含めた政治情勢、また、農業や水産業、重工業、製造業他の各産業、輸入や輸出、物価統制、財政、引き揚げ事業などを含む経済情勢、さらに、公衆衛生や福祉、教育、宗教やメディアなどを含む社会情勢といった3つの観点からの分析とまとめを行ったものでした。各月のまとめであるので、あくまで概要になりますが、それでも、内容は多岐にわたり、当時の占領軍が間接統治とはいえ、実にいろいろなことを手掛けていたことがよくわかるので、毎月の報告書に目を通すだけでも非常に興味深いと思いました。それらの中で特に気になった項目が、公衆衛生関係でした。その中には、当時の伝染病関係のデータもありました。

 

No. 29 February 1948 from Summation of Non-Military Activities in Japan,  April 1946-Dec 1946. Summaries prepared by SCAP of non-military activities, Reports and Documents, Gordon W. Prange Collection, University of Maryland Libraries

 

上の資料は、1948年2月の報告書の中にあり、当時の11種類の感染症についての情報をまとめています。左側の上から、赤痢(Dysentery)、腸チフス(Typhoid fever)、ジフテリア(Diphtheria)、パラチフス(Paratyphoid Fever)、猩紅熱(しょうこうねつ:Scarlet fever)、また右側の上から、髄膜炎菌性髄膜炎(ずいまくえんきんせいずいまくえん:Epidemic Meningitis)、チフス(epidemic typhus:発疹チフス), 天然痘(てんねんとう/痘そう:Small pox)、マラリア(Malaria), コレラ(Cholera)、そして日本脳炎(Japanese Encephalitis)です。最後の2つである、コレラと日本脳炎については、この時点では発生ケースはなかったとあります。(1)

 

残りの9つの感染症の都道府県別罹患率は、各感染症の全国罹患率に対する割合で表されています。灰色部分であれば、80%以上であり、黒色であれば200%以上を占めていることになります。

 

戦後まもなくの日本は、戦禍のためにいろいろな面で不衛生であったこと、深刻な食糧不足でもあったこと、海外からの多くの兵士の復員や民間人の引き揚げもあり、そうした情勢が、いろいろな感染症が流行させていたことは想像できます。これらの詳細については、占領軍の公衆衛生福祉部(Public Health and Welfare Section)関係の資料を丹念に追わなければいけないと思いますが、日本医学史の視点から見た研究論文は、大変参考になると思いました。(2)

 

 

No. 7 April 1946 from Summation of Non-Military Activities in Japan,  April 1946-Dec 1946. Summaries prepared by SCAP of non-military activities, Reports and Documents, Gordon W. Prange Collection, University of Maryland Libraries

 

上の資料は、1946年4月の報告書の公衆衛生に関する項目の中にあったコレラの記述です。中国の広東省からの最初の引き揚げ船は4月4日に浦賀に到着し、8日に下船したが、引き揚げ者の1人がコレラに感染していることが判明した事、追跡可能な他の引き揚げ者は可能な限り検査を受け、再予防接種を受けた事、同じ地域からの引き揚げ船からも船内でのコレラ発生が報告され、複数の死亡例も含まれていた事、引き揚げ船の受け入れ停止の前に、すでにこの地域からの引き揚げ者の乗船は完了し、浦賀に到着済か、航海中であった事、コレラ発生を報告した全船は浦賀への入港を命じられ、検疫下に置かれた事、浦賀の施設が逼迫した場合に備え、佐世保がコレラ患者を乗せた船舶の受け入れ港に指定された事、4月末の時点で、1,832名の感染者及びその疑いのある人々が浦賀の検疫施設に収容されて、コレラによる死亡者は136名(海上40名、浦賀106名)であった事が書かれていました。

 

横須賀市自然・人文博物館の「敗戦後、浦賀が迎えた帰還者たち」のサイトには、浦賀では民間人の引き揚げ者、軍人及び軍属の復員を含めて65万人もの帰還者を受け入れたことが紹介されています。(3) 日本が敗戦を迎えて、どこの地域から日本へ帰還すること自体も決して容易ではなかったはずで、必死の思いで、引き揚げ船に乗り込み、無事に祖国の地を踏むことを願っていた人々の中には、こうしたコレラに感染し、命を落としてしてしまうことになった人々がいたこと、そうした人々の無念を考えるとなんとも気の毒でなりませんでした。

 

この当時の浦賀のコレラ検疫を前提にして、あらためて米国国立公文書館にある写真を見るとさらに理解が深まりました。下の写真は、浦賀の引き揚げセンターを上空から撮影したものです。

 

Aerial view of the Uraga Repatriation Center (left), 3/5/1947. No. 284734. Box 551. RG 111SC, Records of the Office of the Chief Signal Officer WWI Photograph, National Archives, College Park, MD

 


Left: Removing cholera patients to the hospital ship. 5/1/1947. No. 296926.

Right: Cholera ship-Quarters of relatriates. 5/1/1947. No. 296927. 

Both from Box 595. RG 111SC, Records of the Office of the Chief Signal Officer WWI Photograph, National Archives, College Park, MD

 

また、上の2枚の写真のキャプションには浦賀と明記されていませんが、コレラ感染者を病院船に運ぶ様子とコレラ船と呼ばれた船内の様子です。コレラ感染者は、当初から地上の隔離された建物に収容されたのだと思っていました。が、感染者数が多かったために病院船にも収容されるようになったのか、または実際には当初から感染者は船にとどまるように命令されていたかもしれないとも思いました。いずれにしてもコレラ対応である以上、これらの写真も浦賀であったと思います。

 


Left: Cholera ship-Drum, Cresol Benjos.  5/1/1947. No. 296932. 

Right: Hospital ship-DDT. 5/1/1947. No. 296933. 

Both from Box 595. RG 111SC, Records of the Office of the Chief Signal Officer WWI Photograph, National Archives, College Park, MD

 

上の写真は、病院船上の甲板にあった、強力な殺菌剤または消毒剤として使われていたクレゾール(またはベンゾール)といった薬品のドラム缶の様子と、DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)という殺虫剤を船内で散布している様子です。現在ではこうしたものは人体へ有害なものとされていますが、当時は日本だけでなく世界的に使われていました。

 


Left: Shore laboratoes-search for Cholera. 5/1/1947. 

Right: Washing test tubes. 5/1/1947. 

Both from Box 595. RG 111SC, Records of the Office of the Chief Signal Officer WWI Photograph, National Archives, College Park, MD

 

上の2枚の写真にも浦賀とは書かれていませんが、コロナ感染を調べている様子や、テスト用の機材などを洗っている様子もおそらく浦賀であったかと思われます。

 


Left: Repatriation Processing-bath. 5/1/1947. No. 296943. 

Right: repatriation Processing-new clothing. 5/1/1947. No. 296944. 

Both from Box 595. RG 111SC, Records of the Office of the Chief Signal Officer WWI Photograph, National Archives, College Park, MD

 

上の2枚の写真もおそらく浦賀であると思われます。風呂に入っている様子とそのあと新たな服に着替えている様子です。おそらくこれらの人々はコレラ感染にはかかることがなかったと思いますが、感染から快復した人々も含まれている可能性もあるかと思います。この写真に写っている人々は、ようやく帰還の手続きを終えてそれぞれの故郷へ戻ることができたかと思います。

 

今回は、プランゲ文庫の中の、占領軍の非軍事活動関係の報告書を見た事がきっかけで、米国国立公文書館の写真資料とつながりました。この報告書の公衆衛生関係の記述には、当時伝染病だけではなく、子どもの栄養や、死産などいろいろな事柄についても記載されているので、今後もこうした報告書についてはあらためて目を通して戦後の様々な実態とそれに対する政策についてもっと学んでいきたいと思っています。(YNM)

 

 

※注

(1).感染症の原因や症状については、国立健康機器管理研究機構 感染症情報提供サイトの各項目情報を参照のこと。

 

 赤痢:細菌性赤痢:https://id-info.jihs.go.jp/diseases/sa/dysentery/010/dysentery-intro.html

 腸チフス・パラチフス:https://id-info.jihs.go.jp/diseases/ta/typhi/010/typhi-intro.html

 ジフテリア:https://id-info.jihs.go.jp/diseases/sa/diphteria/index.html

 A群溶血性レンサ球菌感染症(猩紅熱:しょうこうねつを含む):https://id-info.jihs.go.jp/diseases/alphabet/agun/index.html

 髄膜炎菌性髄膜炎:https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/name60.html

 発疹チフス:https://id-info.jihs.go.jp/diseases/ha/typhus/010/typhus.html

 天然痘:https://id-info.jihs.go.jp/diseases/ta/smallpox/010/smallpox-intro.html

 マラリア:https://id-info.jihs.go.jp/diseases/ma/malaria/010/index.html

 コレラ:https://id-info.jihs.go.jp/diseases/ka/cholera/index.html

 日本脳炎:https://id-info.jihs.go.jp/diseases/ta/je/010/je-intro.html

 

(2).「占領期における急性感染症の発生推移」 田中誠二、杉山聡、森山敬子、丸井英二、日本医史学雑誌第53巻2号、2007:http://jshm.or.jp/journal/53-2/229.pdf

 

(3).「敗戦後、浦賀が迎えた帰還者たち」 横須賀市自然・人文博物館:https://www.museum.yokosuka.kanagawa.jp/archives/nature-history/106500