2026年1月末は、米国は大寒波に見舞われ、ワシントンDC、メリーランド州やバージニア州では、30センチ前後の雪が積もりました。その時は地域の学校もメリーランド大学も丸1週間閉校となり、米国国立公文書館を含めて政府機関も2日間は閉館となりました。その後もしばらくかなり気温が低かったために、なかなか雪が無くならず、通常の道路状態に戻すための除雪にも非常に時間がかかり、車を運転するのもかなり慎重でなくてはなりませんでした。が、ようやく2月半ばになってかなり雪が溶けてきましたし、空気がまた冷たくても日差しが春めいていたかことを感じます。
また、雪とは全く関係ないことですが、米国議会の予算案を巡っての対立から昨年10月から11月半ばまでの43日間、すべての政府機関は閉鎖となりました。今年に入ってから再び議会で揉めることになり、1月31日(土)から2月3日(火)までの短期間でしたが米国国立公文書館を含む米国政府機関のいくつかは一時的に閉鎖となりました。2月4日(水)から再び平常となり、現在に至っています。
さて、ある調査でたまたま見た資料の中に、とても興味深い戦争画(戦争記録画)に関するものを見つけましたので、今回はそれらをご紹介したいと思います。一般に戦争画というと、戦争をテーマにした絵画であり、その内容は、その戦争に参加した兵士たちや英雄を描いたものもあれば、戦闘場面にフォーカスしたもの、またその戦争の惨状や被害、人々の苦しみ、またそれらを批判するようなものまで多岐にわたると思います。また、世界史的に見ても、そうした絵画はいつの時代にもたくさん存在してきましたし、日本史の中でみても、例えば、中世の絵巻物の中の合戦絵巻や、江戸時代末期から明治時代にかけての錦絵の中の戦争絵なども含めていろいろな形で存在してきたと思います。
日本の近代史の中では、1937年の日中戦争勃発から1945年の太平洋戦争終結までの時代は、総力戦の名のもとに、美術、音楽、文学、映画、ニュースなどのメディアなどあらゆる文化面においても、すべての芸術家たちも総動員され、国民の意識の統制や感情の誘導にも大きく利用されていた面もありました。芸術家としてはいろいろな葛藤を抱えていた人間も決して少なくなかったと思いますが、そうした個人の葛藤を超えて、否応がなく、協力せざるを得なかった時代でもあったと思います。
Left: 戦友。岩田専太郎。Original painting Sentaro Iwata. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 3. Resting Comrades.
Right: 行軍途上の日本軍。小磯良平画。昭和12年。Original painting Ryohei Koiso. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 7. Japanese Column on the March.
Both from RG331MH, Record of Allied Operational and Occupation Headquarters, WWII, Photomechanical Reproduction: The MacArthur Histories, ca. 1949-1950, Box 3. National Archives in College Park, MD.
上の左の岩田専太郎(1901-1974)による絵画は、米軍の印刷物上では、タイトルは、「戦友」と書かれていますが、元のタイトルは、「小休止」であったかと思います。また、右の小磯良平(1903-1988)の絵画は、印刷上では、「行軍途上の日本軍」(昭和12年:1937年)と書かれていますが、元のタイトルは、「娘子関を征く」でその作品の制作年は、1941年であったと思います。
米国国立公文書館には、占領軍関係資料のRG331のエントリーMH-JWPの、日本の戦争画コレクション(Collection of Japanese War Paintings, 1937–1945:https://catalog.archives.gov/id/542160)として白黒で撮影された約150点の作品の写真を見ることができます。このシリーズについては、もうかなり以前のことですが、2015年12月のブログ記事で、紹介しているので、お時間があればご覧ください。(1)
今回、私が米国国立公文書館で見たものは、同じ占領期関係資料である、レコード・グループのRG331なのですが、エントリーがMHとなるもので、GHQ総司令官であったマッカーサーの歴史コレクションといったシリーズの資料でした。(The MacArthur Histories Collection of Organizational Charts, Maps and Graphs, Posters, Photographs, Paintings, and Engravings relating to World War II and post-war activities in the Southwest Pacific Area and Japan, ca. 1949–ca. 1950、RG331-MH:https://catalog.archives.gov/id/542161 )
このシリーズには、ダグラス・マッカーサーを支えたG-2(情報部)部長であったチャールズ・ウィロビーによって編纂され、もともとは、『勝利に代わるものなし』とタイトルで全3巻からなる歴史書を完成させるための資料が入っていました。最終的には、理由はわからないのですが、この本を完成させることはありませんでした。このシリーズの資料は平らな箱5箱に入っており、さらにインデックス用の1箱があり、全部で6箱の構成になっています。全体としては、太平洋における日米の軍事作戦や戦後の米軍による日本占領に関するもので、当時の日本軍の組織図や地図、宣戦布告や降伏文書の複製、日本人画家による戦争画の複製やポスターなどや戦後の米軍の活動などのテキスト資料などが含まれており、とても興味深いものになっています。戦争画に関するものは40点ほどだと思いますが、オリジナルのカラーでそのまま撮影されています。どこでどのように日本軍は戦闘を展開したのかといったことがわかるような地図の間に戦争画が入れられており、こうしたまとめ方をしていたことにあらためて興味を持ちました。
Above: 日本軍の上陸戦闘。中村研一。昭和19年2月。Original painting Kenichi Nakamura. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 31. Japanese Landing Operation.
Bottom: オーレンスタンレー山脈における軍隊の苦闘。伊原宇三郎。昭和23年。Original painting Usaburo Ihara. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 34. Hardship of the Troops in the Own Stanleys.
Both from RG331MH, Record of Allied Operational and Occupation Headquarters, WWII, Photomechanical Reproduction: The MacArthur Histories, ca. 1949-1950, Box 3. National Archives in College Park, MD.
上の2枚のうち、最初の絵画は、中村研一(1895-1967)によるもので、印刷物上では、「日本軍の上陸戦闘」、「昭和19年(1944)2月」とありますが、元のタイトルは、「コタ・バル」(マレーシア北東部の都市)で1942年の作品となります。またそれに続く絵画は、伊原宇三郎(1894-1976)によるもので、印刷物上では、「オーレンスタンレー山脈における軍隊の苦闘」(昭和23年:1948年)となっています。この山脈は、パプア・ニューギニア南東部の山脈で、そうした奥地でも日本軍が戦っていたことがわかります。これはニューギニア戦線中のものなのなので、作品年も戦中であったかと思います。
ガダルカナル島における陸海軍の共同。中村研一。昭和19年。Original painting Kenichi Nakamura. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 36. Army Navy Cooperation on Guadalcanal.
Bottom: ガダルカナル島攻略要図。Plate No. 37. Operation on Guadalcanal, August-November 1942.
Both from RG331MH, Record of Allied Operational and Occupation Headquarters, WWII, Photomechanical Reproduction: The MacArthur Histories, ca. 1949-1950, Box 3. National Archives in College Park, MD.
上の最初の絵画は、中村研一のもので、日本では、「タサファロング(ガダルカナルに於ける陸海共同作戦図)」として知られており、1944年の制作であったと思います。それに続く地図は、もともとは日本軍が作成した地図資料でした。
Top: ニューギニアにおける安田部隊の最期。藤田嗣治。昭和18年。Original painting Tsuguji Fujita. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 44. Fate of Yasuda Force on New Guinea Front.
Middle: 佐野部部隊長、還らざる大野挺身隊と決別す。山田孝之介。昭和19年。Original painting Konosuke Yamada. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 49. Suicidal Unit Bidding Farewell to Commanding General Sano.
Bottom: 密林の死闘(ニューギニア戦線)。佐藤敬。昭和18年。Original painting Kei Sato. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 68. Deadly Jungle Fighting: New Guinea Front.
All three from RG331MH, Record of Allied Operational and Occupation Headquarters, WWII, Photomechanical Reproduction: The MacArthur Histories, ca. 1949-1950, Box 3. National Archives in College Park, MD.
上の3枚のうち、最初の絵画は、藤田嗣治(つぐはる:1886-1968)によるもので、彼の「アッツ島玉砕」はよく知られていますが、このニューギニア東部における日本軍部隊の中の安田部隊は、ブナ・ゴナの戦いにおいて連合軍に包囲され、飢えとマラリアにも襲われ、凄惨を極めるものであったと言われています。それに続く絵画は、山田孝之介(1903-1986)によるもので、ガダルカナルで米軍へ奇襲をかけるために攻撃に出てそのまま還ってくることがなかった部隊とそこに残るものとの決別を描き、さらに続く絵画は、佐藤敬(1906-1978)によるもので、ニューギニアの日本軍の死闘を描きました。
Above: 特攻隊(空)内地基地を進発す。岩田専太郎。Original painting Sentaro Iwata. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 138. Departure of Special-attack Unit from Homeland Base.
Bottom: 防空壕。栗原信。Original painting S. Kurihara. Photograph by US Army Signal Corps. Plate No. 150. Air Raid Shelter.
Both from RG331MH, Record of Allied Operational and Occupation Headquarters, WWII, Photomechanical Reproduction: The MacArthur Histories, ca. 1949-1950, Box 3.
最後の2枚のうちの最初のものは、岩田専太郎による特攻隊の出撃前の様子を描いており、それに続く絵画は、栗原信(1894-1966)によるもので、連合軍の空襲からなんとか身を守ろうと防空壕内で耐える一般市民の様子を描きました。
このRG331MHのマッカーサーの歴史コレクションといったシリーズの中にあるいわゆる戦争画の複製は、40点ほどであったと思いますが、その多くは、戦争を鼓舞するようなものというよりも、それぞれの戦闘の中でいかに日本兵たちが苦戦を強いられたか、またどのような最期を余儀なくされたのか、といった戦争の現実や凄惨な状況を描いたものも多く、それがゆえにその根底には反戦の念があるように思えてなりませんでした。仕事がら、米国国立公文書館では、写真資料や映像資料も含めてたくさんの戦争関係資料を見てきましたが、そうした歴史資料を見ても戦争の壮絶な現実を垣間見ることもあり、こうした戦争画は、そうした歴史資料と重なるところがあります。その意味でも、当時の戦争画とよばれる絵画から学ぶことはたくさんあると思います。
今回は、米国国立公文書館にある資料の中の日本の戦争画についてそれらの一部を紹介するだけで手いっぱいでしたが、当時戦争画を描いていたそれぞれの画家の回想録他などがあれば、いつかそうしたものも読んでみたいと思います。個人的には、藤田嗣治にはとても興味を持っています。彼は、戦争画の中心を担っていたと国内で批判され、その後は再びフランスにわたり日本へ帰ってくることはありませんでした。当時の彼の作品を見る限り、戦争賛美や鼓舞といったものは一切なく、むしろ、戦争の現実を真摯に描くことで、厭戦、反戦の意識が根底にはあったと思われてなりません。戦争の時代とその時代の文化について、またその文化の担い手と、受け手の人々はそれぞれどう向き合ったのかについてももっと考えていきたいとも思いました。
当時の戦争画のうち、戦後になって米軍がオリジナルの153点を接収したと言われ、1970年に、「無期限貸与」のかたちで「返還」され、それらは東京国立近代美術館に収蔵されています。(2) また、昨年夏から秋にかけて、この美術館で、美術はどのように戦争と向き合ってきたかというテーマで、戦争画、写真、映画などを含む「記録をひらく 記憶をつむぐ」展」が開催されていたことを知りました。(3) 機会があればこの美術館を訪れてみたいと思いました。(YNM)
注)
(1).ニチマイ米国事務所ブログ記事:日本の戦争画家-藤田嗣治 (2015年12月):
(2).東京国立近代美術館コレクション:https://www.momat.go.jp/about-collection
(3).いま改めて問う、美術は戦争をどう描いてきたか──「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館):美術手帖:https://bt-public-elb.bijutsutecho.com/magazine/news/report/31212
