暫定予算案を巡って共和党と民主党が対立し、その結果、今年の10月1日から政府機関の閉鎖に突入してしまいました。米国史上、最長の43日目となった11月12日(水)の夜にようやく可決して、米国史上最長の政府機関の閉鎖は解除されることになりました。米国国立公文書館は、翌日内部で調整をして、14日(金)から再開しました。
この政府機関の閉鎖は、政府職員だけでなく、政府機関内で仕事をしていた民間会社の人々はもちろん、私達のようなリサーチャーにとっても、深刻な影響を与えることになりました。私自身は、その間、これまで取り組んでいた各プロジェクトのデータ整理作業を進めたり、ニチマイ米国スタッフで進めているメリーランド大学のプランゲ文庫スキャニングプロジェクトの準備作業に入ったり、またプランゲ文庫コレクション内の地図資料や寄贈資料、また米軍関係資料などの調査も始めたりなど、いろいろな対応をしてきました。
今回は、プランゲ文庫の中の、戦後日本を間接統治した占領軍による非軍事の分野における活動を月ごとにまとめた報告書について、またその中の記述に関連した米国国立公文書館にある写真についてご紹介をしたいと思います。
メリーランド大学のホーンベイク図書館にはゴードン・W・プランゲ教授の個人資料が所蔵されています。プランゲ教授の資料調査を通じて、プランゲ教授が人との交流をいかに大事にし、真珠湾攻撃に対して大きな興味を持っていたかということがわかります。彼は真珠湾攻撃に関する本を何冊も出していますが、そのためにアメリカと日本のそれぞれの関係者である多くの元軍人や民間人へのインタビューや、何通もの手紙の交換、また時には相手の元にまで出向いて面会し情報を収集していたことがわかります。
アメリカでは予算案の期限内成立が見送られたため、10月1日から政府機関の一部がシャットダウンされました。私たちが調査のため通っている米国国立公文書館も閉鎖されてしまったため、シャットダウン期間中はメリーランド大学のホーンベイク図書館へ行き、ゴードンプランゲペーパーについて調査をしてきました。
ゴードンプランゲペーパーは、メリーランド大学で歴史学を教えていたゴードン・ウィリアム・プランゲ博士が太平洋戦争、特に真珠湾攻撃に関する研究のために収集した、日本海軍部隊が戦時中に書いた日記や地図、新聞記事、写真、真珠湾攻撃に関する重要資料のコピー、アメリカと日本の軍人や民間人に面会をして行ったインタビュー内容、関係者とやり取りをした手紙などを含む膨大な資料のコレクションです。
プランゲ博士はメリーランド大学で教授として教壇に立っていましたが、1942 年にメリーランド大学を休職しアメリカ海軍に入隊、1945年には占領軍の一員として日本へ赴任します。太平洋戦争終了後はマッカーサーの下で歴史課長・歴史室長を務めました。この時、多くの旧日本軍人や民間人関係者にインタビューを行いました。また、アメリカに帰国後も太平洋戦争に関する研究を続け、『トラトラトラ 太平洋戦争はこうして始まった』など、多くの著書や論文を発表しました。