米国国立公文書館にある米海軍のカラースライド資料について

2024年もあっとという間に半年が飛び去ってしまい、後半に突入してしまいました。

このところ、かなり蒸し暑い日々が続いていますが、その暑さに負けることなく乗り切っていかなければと思っています。

 

ある調査で、米海軍のカラースライド資料を見ることになったことがきっかけで、あらためて第2次世界大戦中のものをご紹介したいと思いました。米海軍のカラースライド資料は、RG80GK(Color Photographs of US Navy Activities 1939-1958 Reference/Reproduction Slides) というものになります。これらのカラースライドを見るためには、まず、RG80GKC(General Records of the Department of the Navy-Visual Aid Subject Index to Color Photographs of the Navy Activities WWII) というカラースライドの画面を白黒写真にしてその横にキャプションをつけた小さな目録カード資料を見るところから始まります。

 

左下の写真は、そのRG80GKCのファインディングエイドのフォルダーです。中身は、Box 1:Aircrafts (海軍航空機)からBox 14:Weapons(武器関係)までの簡単なトピックが書かれているだけのものですが、それらの中からBox 4-5のWWII (第2次世界大戦)を選び、それらの箱を出してみたときのものが右下の写真になります。

 

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米国の炭鉱を担った人々の暮らし

ワシントンDCの米国国立公文書館内では、今年の3月から7月までは、「パワーとライト:ラッセル・リーの炭鉱調査」(Power & Light: Russell Lee's Coal Survey:https://museum.archives.gov/power-and-light-russell-lee-coal-survey )という展示が開催されています。イリノイ州出身の写真家でありジャーナリストでもあったラッセル・リー(Russell Lee: 1903-1986) は、ルーズベルト政権下の、大恐慌の影響を受けた農業の救済と復興を目指す農業安定局(FSA:Farm Security Administration)のおける写真記録を残すために雇用されたことをきっかけとして、米国内のいろいろな地域と人々の生活を撮影しました。彼は、真珠湾攻撃後、日系収容所に収容された日系人の写真を撮影したカメラマンの一人でもありました。戦後は、内務省による米国内の炭鉱地域の医療調査に関わり、炭鉱地域の人々の写真を撮りました。

 

それらの炭鉱関係の写真は 米国国立公文書館に 全部で約9000枚近くあり、それらのうちの約半数がデジタル化されているようです。これらのすべての写真が、ラッセル・リーによって撮影されていたわけではないのですが、それでも彼の多くの写真を見ることができます。左下は、米国国立公文書館のサイト上の、「炭鉱産業の医療調査の写真」(Photograph of the Medical Survey of the Bituminous Coal Industry, 1946-1947, ) の画面です。このタイトルの、”Bituminous” という言葉は、「バトゥミマス」と読み、歴青炭/瀝青炭(れきせいたん)という代表的な石炭で、比較的柔らかいものであると言われています。

 

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自由のための戦士たち

スミソニアン・アメリカ美術館のウィリアム・ジョンソン展から

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米国の移動図書館の写真資料

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沖縄戦の中の子ども達

2024年という新たな年が始まったと思ったら、すでに3月半ばを迎えてしまいました。ワシントンDC周辺の桜も、来週にはピークになると言われています。

 

一方で国際情勢を見ると、ロシアのウクライナへの侵攻は丸2年を経てもいまだに続き、ロシアの反体制活動家のアレクセイ・ナワリスイ氏が北極圏の収監先で亡くなったことも衝撃的でした。また昨年10月のパレスチナのハマスがイスラエルへの大規模な攻撃を行い、それに対してのイスラエル側の報復も現在も続いています。米国に住んでいると、同じコミュニテイーに住んでいる近所の人々、また米国国立公文書館に出入りするリサーチャーの人々、また娘の大学の友人達の中には、こうした紛争国にルーツを持つ人々も少なくないし、彼らの血縁者や友人達も今もその紛争地で生活している場合もあるので、新聞やニュースで報道されている国際情勢も決して遠くの国のことではないことを日々実感させられます。

 

究極の暴力の中で、犠牲となるのは、兵士達だけでなく、一般の市民と子ども達であり、それは、日本がかつて体験した戦争の時代と重なります。そうしたことから、今回は、あらためて沖縄戦に巻き込まれた一般の人々に関する写真の中の、特に子ども達に関する写真をいくつか紹介したいと思いました。以下の写真のいくつかは、すでにいろいろな写真集でも紹介されてきたかと思いますが、あらためて原資料を見ると、大きなインパクトがあり、私達は今後も謙虚にあの沖縄戦について学び続けなければいけないと思いました。

 

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戦後まもなくの水耕栽培

2024年もあっという間に2月の半ばを迎えてしまいました。まだ寒い日もありますが、庭のふきのとうも芽を出し、少しずつ春が近づいているのを感じます。そろそろ裏庭での家庭菜園について何を育てるか、種を買うか、苗を買うかも含めていろいろ考えなくてはいけない時期になってきました。基本的には、私の家の家庭菜園は、土を使う、土耕栽培です。が、近年では、世界的には、土の代わりに、水と養液(液体肥料)を使い、野菜を育てるという、水耕栽培が、広く知られつつあるようです。そうした水耕栽培に適する葉野菜、適さない根菜などの違いもあると思いますが、そうした水耕栽培についても、もっと知りたいと思うようになりました。

 

水耕栽培は、古代のエジプトや、イラン、中国、そして南米でも存在していたようですが、現代の水耕栽培の技術の確立の最初のきっかけとなったのは、19世紀半ばに活躍した、ユリウス・フォン・ザックス(Julius von Sachs: 1832-1897)というドイツの植物生理学者が、植物の成長によって必要な栄養素(窒素(N)、リン酸(P)、カリウム(K)、マグネシウム(Mg)、S(硫黄)、Fe(鉄)など)を特定し、水耕栽培を使っての実験と研究を行ったことでした。(参照: “Plant sulfur nutrition: From Sachs to Big Data”  Stanislav Kopriva, Plant & Signaling Behavior, Vol. 10, Issue 9, 2015:https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/15592324.2015.1055436

 

そして、1930年代には、アメリカ人でカリフォルニア大学の植物生理学の教授であったウイリアム・フレドリック・ゲーリッケ(William Frederick Gericke:1882-1970)が、ギリシャ語で水を意味するハイドロ(hydro)と、働きを意味するポノス(ponos)を組み合わせて、水の働き、つまり、水耕栽培を意味するハイドロポニクス(hydroponics)として、その本格的な研究を行い、できるだけ早く、かつたくさんの植物や野菜を育てることを目指しました。

 

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アジア美術博物館の1つであるフリーア・ギャラリー

新年早々、能登半島の大地震、そして羽田空港での民間機と海上保安庁の飛行機との衝突事故と

いう大惨事が起こり、犠牲になられた方々には心より深くご冥福をお祈り申し上げます。また、今も大変な困難な状態にある被災者の方々にも心よりお見舞いを申し上げます。

 

ワシントンDCのスミソニアン博物館群には、ホロコースト博物館、航空宇宙博物館、ナショナル・ギャラリー(美術館)、アメリカ歴史博物館、アメリカ自然史博物館、アジア美術博物館、アメリカ・インデアン博物館、アフリカン・アメリカン博物館があり、どの施設も見ごたえのある素晴らしい展示会場になっています。

 

今回は、それらの中の、アジア美術博物館(National Museum of Asian Art)を構成する2つのコレクションである、フリーア・ギャラリー(Fleer Gallery of Art) とサックラー・ギャラリー(Arther M. Sackler Gallery)のうち、昨年、創立100年を迎えた、フリーア・ギャラリーと先日見てきた展示の一部についてご紹介をしたいと思います。

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