1945年当時フィリピンには米軍によって作られた敵兵の墓地がいくつか存在していました。その中に1945年7月7日に設立されたCanlubang Prisoner of War Cemetery #1という、かなりの人数の日本兵が埋葬された墓地がありました。ほかの墓地に埋葬されていた日本兵もそこに移され、この墓地に再埋葬されたようです。1948年になり、そこの墓地に埋められた日本兵の遺骨は日本へ返還されるために掘り起こされました。下の写真はその時の掘り起こし作業の様子です。
FINAL HISTORY REPORT OF CANLUBANG PRISONER OF WAR CEMETERY #1; RECORD OF GENERAL HQ, FAR EAST COMMAND, SUPREME COMMANDER ALLIED POWERS, AND UNITED, AND UNITED NATIONS COMMAND, Record Group 554; National Archives at College Park, College Park, MD
一番最初の写真が作業が始まる前の写真になります。墓標が立てられ、きちんと計画されて埋葬されていたようです。堀り起こされた遺骨はほかの遺骨と混合しないように一体一体何かで包まれたようです。ここに載せた写真以外にもまだ写真があり、丁寧に一体一体が扱われていたように感じました。
また、先日見た米国国立公文書館の資料にコピー用紙の半分ぐらいの大きさの米軍の埋葬書がありました。表側は氏名、死亡場所、死亡日、死亡原因、埋葬場所、そして両隣に誰が埋葬されているのかが記載されています。裏面には亡くなった人が身元不明だった場合のための、両手の指紋を押す場所、身長、体重、目の色、髪の毛の色、人種などを書き込む箇所があります。あまり気にも留めずにその資料を見ていましたが、ある1枚の埋葬書に目が留まりました。それは1944年8月に戦死した米兵の埋葬書でした。裏面には指紋を押す場所に両手がないので指紋をとることが無理なこと、目の色を書き込む欄には顔がないことが書かれてありました。
第2次世界大戦では日本もアメリカも多大な犠牲者を出しました。私が見たのは墓地の写真とごくごく一部の埋葬書ですが、これらの資料からそのことを改めて実感しました。(NM)