沖縄~10・10空襲から70周年

沖縄の10・10空襲と呼ばれている、1944年10月10日に米海軍第38高速空母機動部隊が沖縄を含む南西諸島で行った1,396機に及ぶ大規模な攻撃から70年が経ちました。この空襲で那覇市の市街地90%が燃え尽き、重要な琉球王朝時代の文化遺産を多数失ったといわれています。1945年4月から6月の沖縄戦については聞いた事がありましたが1944年の10・10空襲の事は知りませんでした。

 

この空襲は第5次攻撃まで行われ、第1次攻撃から第3次攻撃は航空機や飛行場、船や船舶施設などの軍関係施設を攻撃、午後12時40分から1時40分にかけての第4次攻撃と午後2時45分から3時45分にかけての第5次攻撃では、学校や病院、お寺や市街地を含む民間の施設を無差別に低空から攻撃し、多数の一般市民を含む600人以上の方々が合計9時間にも及ぶ攻撃で亡くなりました。また、空襲後の火事で市街地のほとんどが焼失してしまったそうです。

 

米国国立公文書館Ⅱ号館には沖縄戦に関係する膨大なテキスト資料、写真や映像資料が保存されています。今回は10・10空襲に関係するテキスト資料をご紹介いたします。

 

このテキスト資料は空母レキシントンの1944年10月10日の戦闘報告書の一部です。

レキシントンから3機の敵の飛行機が見えたので打ち落とした。その後、読谷飛行場を攻撃とあります。このように艦船別に戦闘報告書と写真などがまとめてあったりもするので、その日の攻撃の詳細がわかります。

 

Record Group38 Records of the office of the Chief of Naval Operations WWII Action and Operational Reports Box1148 National Archives at College Park, College Park, MD

 

次の資料には日本側が中立国のスペイン大使館を通して、アメリカ側に民間人への無差別攻撃と低空からの機銃掃射は国際法に違反していると抗議した件に関して、アメリカ統合参謀本部の見解が書かれています。アメリカ側は、違法だと認めてしまえば米国人捕虜を危険にさらし、戦争犯罪人とされてしまうかもしれないなどの懸念を記しています。これはほんの一部で、この後も資料は続きます。

 

Record Group 218 Entry UD2 Geographic file 1942-1945 Box160 National Archives at College Park, College Park, MD

 

下記の写真は第38高速空母機動部隊(TF38)の戦闘報告書内に入っていた、1944年10月10日に撮影された写真です。(上)那覇港と那覇市方面 (中)那覇港 (下)那覇飛行場ですが、黒煙がもくもくとあがっているのが鮮明に見えます。

 

Record Group38 EntryUD351 Records of the office of the chief of naval operation Box162  National Archives at College Park, College Park, MD

 

さらに次の写真は1944年10月10日に撮られた読谷飛行場の写真です。煙が上がっているのが見えます。

 

Record Group38 Record of the office of the Chief of Naval Operations WWII Action And Operational Reports Box1148 EntryUD-351 National Archives at College Park, College Park, MD

 

10・10空襲関係資料はまだまだたくさんあり、もっと紹介したいのですが、また次の機会にしようと思います。

 

沖縄ではこの10・10空襲70周年にちなんだ企画展「那覇の祭りと10・10空襲」が那覇市歴史博物館http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/882

で行われているようです。来年は終戦70周年を迎える事もあり、いろいろな企画展やテレビでの特集などもこれから増えていくと思います。戦争体験者の方々にとって当時の事を語るのは辛い事を思い出す為、避けている方もいらっしゃるかもしれないと思います。しかし、今、私達のような戦後生まれの世代が戦争を風化させないために、私達もそうした体験者の方々から学び、そして語り継ぎ、真実を次世代へつなげて行かなくてはいけないのではないかと改めて思います。(SW)