クリスマス

クリスマスの季節になると世界の多くの場所が賑やかになり、クリスマス当日に向けて準備をする人達もたくさんいることと思います。クリスマスは宗教的に言えばとても大切な日なのですが、日本ではここ最近宗教的に考える人よりもイベントとしてその日を過ごす人達の方が多いように思います。クリスマスの日にはツリーを飾り、元旦になればしめ縄を飾る。宗教的に考えると一見矛盾しているようにも感じますが、やはり家族や友達と一緒に過ごす大切な機会と思えばつじつまが合うように思います。

アメリカでは宗教的にクリスマスをお祝いする人が日本よりも圧倒的に多いので、遠方に住んでいる親戚達も一緒にクリスマスを過ごし、お祝いするというのが主流です。しかし、第二次世界大戦中はもちろん、現在に至るまでアメリカ軍に在籍している人々には、他の勤務地への出向(現在でいえば、新しい国や州への引っ越し)、家族を連れていけない長期出張など、民間企業に勤めている人々には少し考えられないような事があります。そのため、クリスマスは家族で集まる大切な機会と感じ、その日を心待ちにしているアメリカ軍兵士やその家族はたくさんいることと思います。では、この大切な日をアメリカ軍の兵士達はどのように過ごし、どのぐらいの兵士がクリスマスに家族や友達と会うことができたのでしょうか?


戦時中はクリスマスだから国へ帰るというような事はできるはずもなく、戦闘中であったり、敵に見つからないように潜んでいたり、と勝手に戦地の状況を色々想像してはみたのですが、米国国立公文書館所蔵の一部の資料や写真から兵士達の戦時中のクリスマスの過ごし方というものが少し見えてきました。クリスマスの過ごし方は戦地によって異なりました。

例えば下の写真にあるように、最初の写真はインドのラムガー(Ramgarh)にて行われたクリスマスパーティーの記録です。とても楽しそうにお酒を飲んだりご馳走を食べていたりする写真が数枚ありました。また、二枚目の写真は同じ第二次世界大戦中のクリスマス当日、ビルマにて撮られた写真です。この後に続く同じ日に同じ場所で撮られたと思われる写真には、山道を列になって進んでいる様子が記録されていました。他にも、クリスマスの過ごし方は部隊の指揮官によって決まるといってもいいほど、各部隊の指揮官達が案をしぼりクリスマス・イブやクリスマス当日の計画を立てるという習慣があることを知りました。


Photograph No.SC-277366 “Sgt. Phil Packard of New York City, as Santa Clause at the Ramgarh Training Center. Passes out gifts to GIs during the Christmas Party.”Ramgarh, India, 24 Dec 1944. Record Group 111SC; National Archives at College Park, MD.


Photograph No.SC-277013 “Mars Task Force observes Christmas Day in a clearing in the Burma Jungles.”Burma, 25 Dec 1944. Record Group 111SC; National Archives at College Park, MD.


しかし、どんなに指揮官が頑張ってくれても、第二次世界大戦中の兵士には国への帰国という選択はありませんでした。


第二次世界大戦の終結とともにアメリカ軍兵士達のクリスマスも含める祝日の過ごし方は変わってきます。部隊の指揮官に休暇を申し出ることができるようになりました。そのため、自分の生まれ育った国へ帰省することができるようになったり、その時配属されている国を旅行したり、兵士達の祝日の過ごし方の選択肢が増えました。また、コマンド達が企画するクリスマスプランは他部隊、また同じ部隊の中で競争するものとなり、最高のプランを企画したコマンドは表彰されるというアメリカらしいユーモアあるものに変わっていきました。


Photograph No.SC-422693 “Majpr General Joseph P. Clelend(Fourth from left) CG, 40th US. Inf Div, presented Capt Williams, Larkin(Center) (Holly Hill Fla) En. Hg Co, with a Christmas basket for the Best Decorated Comand Post in the 40th US Inf Div ”Ramgarh, India, 25 Dec 1952. Record Group 111SC; National Archives at College Park, MD.


他にも、クリスマスプランの中には当時有名なミュージシャンのフリー公演があったり、クリスマス時期でも暑いような国ではプールパーティーなど国への帰省をしなくとも普段一緒に働いている同僚達と有意義な時間を過ごす事ができたかと思います。基地の中だけで開催されるイベントもあれば、現地住民を巻き込んで行われるイベントもありました。資料を読んでいて印象的だったものが、アラスカで行われたクリスマス時期にChristmas trainという電車に乗って現地の子供達にプレゼントを届ける企画や現地の教会を利用して行われるクリスマス・イブのミサなどアメリカ軍兵士のためだけではなく現地住民との交流も視野に入れて企画をしているものです。


Photograph No.SC-243440 “Tec 4 Spantikou, of Chicago, Ill. Engineer of 14th Ratlway Hn waves goodbye to one of the native children of Cantwell, Alaska, as the Xmas train pulls out.”Alaska, 17 Dec 1944. Record Group 111SC; National Archives at College Park, MD.


Photograph No.SC-283719 “CHRISTMAS EVE SERVIS WITH CIVILIANS IN TOKYO” TOKYO,JAPAN, 24 Dec 1946. Record Group 111SC; National Archives at College Park, MD.


米国国立公文書館にて今回私が読んだクリスマス関係資料は本当にごく一部ですが、それでもアメリカ軍兵士にとってのクリスマスやその他の祝日の重要さ、また願っていても母国へ帰る事ができなかった兵士達のために指揮官たちが部下を労うために企画しているたくさんのプランには本当に嬉しい気持ちになりました。やはり愛国心が強いアメリカだからこそ、ユーモアある提案や実現した企画が数多くあったと思います。このような資料を調べていく上で、第二次世界大戦中から今に至るまで全てのアメリカ兵士が抱いていたクリスマスを祝うことの大切さは民間の市民が抱くものとは異なり、私の予想を遥かに超えたものであったという事がわかりました。(M.J)