Japanese American – Nisei Girl’s の太平洋戦争New blog post

アメリカに住んで13年、ここアメリカで生まれ育った日系人の方々はどの様に生き抜いてきたのかと思うことがあります。


日系アメリカ人二世と言えば、戦前、戦中、戦後と日米の架け橋となって戦後の日本再建に尽力された事は言うまでもありません。特に多くの犠牲を払って功績を遺したアメリカ陸軍442部隊を始めとした男性部隊の活躍は目覚ましいものでした。


皆さんは、時を同じくしてアメリカ陸軍婦人部隊(Women’s Army Corps以下WAC)に日系人の女性達がいたことをご存知でしょうか。今回は、太平洋戦争さなかアメリカ陸軍婦人部隊へ入隊した女性達、またアメリカ社会で貢献した女性達、強制収容所で生活しながらも多方面に渡って日系人を支えていた、日系人の女性達をテーマにごく一部ですがご紹介したいと思います。


こちらは、1942年のインテリジェンスの調査です。下記の様に枢軸国のドイツ人やイタリヤ人よりももっと高い水準で日本人が危険視されていることが分かります。この様な環境下でアメリカに住むことは大変だったことでしょう。


RG No.107 Entry A1-180 Box No.6 (Office of the Secretary of War) ASST. SEC. of War Formerly-Security Classified Correspondence of John J. McCloy, 1941-45 (014.1-014.311) National Archives at College Park, College Park, MD

日系アメリカ人女性によるアメリカ陸軍婦人部隊 (WAC)への志願者は第二次世界大戦中、及び戦後を通して、300人以上が参加したと言われています。


こちらの資料は、米国陸軍戦争省のもので、1943年7月28日の日系アメリカ人女性のアメリカ陸軍婦人部隊(WAC)の入隊に関しての資料です。入隊規定や、500人までの入隊が制限され各司令部に配属される事が記載されています。



RG 107 Entry A1-183 Box No.17 (Office of the Secretary of War)   ASST. SEC. of War General Correspondence of John J. McCloy 1941-45 (021-031.1) National Archives at College Park, College Park, MD


こちらの写真は、アメリカ陸軍の検閲指揮官より講習を受けている日系人二世の女性達の様子です。彼女達13名はハワイから来日しています。米軍の制服に身を包み、知的な眼差しと凛とした姿が印象的です。



Left: Photograph No.221146 Japanese-American Girls Arrive in Tokyo for Duty (12/7/1945) RG 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD

Right: PhotographRG111-SC No.221267 Four Japanese-American Girls Shown at Work, at Gen. HDQS. (12/7/1945) RG 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD


左下の写真は、アイオワ州デモインの会社でオペレーターと速記者として働いている女性達です。彼女たちは以前、マンザナー収容所に居ました。雇用者及び他の従業員達が快く彼女達を受入れてくれたことが記載されています。この時期のアメリカに住む日系人は敬遠されていたばかりでは無い事が解ります。


右下の写真は、オハイオ州シンシナティの託児所の様子です。彼女の専門的な知識ときめ細やかさが地域内で高く評価され、日系アメリカ人としての存在が認識されたとしています。



Left: Photograph No. 14G-339 War Relocation Authority. Formerly from the Manzanar Relocation Center, at work with the National Screen Corporation of Des Moines, Iowa (1/1944) Record Group 210-G National Archives at College Park, College Park, MD

Right: Photograph No.14I-449 War Relocation Authority. Day Car Nursery and School Conducted by Board of Education, Cincinnati, Ohio (9/13/1944) Record Group 210-G National Archives at College Park, College Park, MD


1942年、コロラド州グラナダ収容所(アマチ収容所とも呼ばれていました。)の様子です。ピーク時には7318名が収容されていた様です。


Photograph No.7E-415 War Relocation Authority. Granada Relocation Center, Amache, Colorado. Record Group 210-G National Archives at College Park, College Park, MD

左下の写真は、このグラナダ収容所のバラック内部の様子です。姿勢を正してお話を聞いている子供達の姿が日本人らしいと思いました。

右下の写真は、カリフォルニア州マンザナー収容所で撮影されました。収容所内ではカモフラージュ用の網を作っていた様です。作業費なども時間ごとに決められていた様です。



Left: Photograph No.7E-473 War Relocation Authority. Granada Relocation Center, Amache, Colorado. Record Group 210-G National Archives at College Park, College Park, MD 

Right: Photograph No.10C-815 War Relocation Authority. Manzanar Relocation center, Manzanar, California. Making Comouflage nets for the War Department.  (7/1/1942) Record Group 210-G National Archives at College Park, College Park, MD


Photograph No.10C-44 War Relocation Center, Manzanar, California. Enjoying an afternoon stroll at this War Relocation Authority Center for evacuees of Japanese ancestry. (4/1942) Record Group 210-G National Archives at College Park, College Park, MD 

差別や偏見の多かったこの時代の中でも明朗で強く逞しく生き抜いてきた日系二世の女性達。アメリカの社会に溶け込み、認められていく姿は誇らしく輝いて見えます。今回の調査をとおして、上の写真の様に前向きに笑顔で歩いて行った女性達に感銘しました。また、これから私自身もそう有りたいと思いました。(TI)