東京兵器補給廠 (Tokyo Ordnance Depot) について

私は埼玉県で育ちましたが、生まれはもともと東京都北区の十条というところでした。ある調査で、たまたま、戦後の十条にあった米軍の東京兵器補給廠に関わる資料が出てきたこともありましたので、ちょっとこの東京兵器補給廠について調べてみたくなりました。

 

東京都北部の北区の赤羽、十条、王子と板橋区の板橋といった地域には、もともと明治期から東京砲兵工廠と関連工場が置かれ、兵器や弾薬の製造から管理までを行なっていた歴史がありました。のちに東京造兵廠と呼ばれ、これらの地域には東京第一陸軍造兵廠と東京第二東京第一陸軍造兵廠というものがありました。戦後はこれらの地域を占領軍となった米軍が接収し、東京兵器補給廠 (Tokyo Ordnance Depot)として米軍が使用することになりました。

 

それらの地域の一部は、日本に返還され、1950年末に自衛隊の十条駐屯地となりましたが、のこりの土地は引き続き米軍によって使用され、ようやく日本に返還されたのは1971年のことでした。現在では、自衛隊十条駐屯地の他の土地は、様々な小学校や中学校、大学や公園などになっているかと思います。

 

東京都北区の観光サイトには、自衛隊十条駐屯地の情報(http://www.kanko.city.kita.tokyo.jp/data/a/15.html )があり、また東京都板橋区文化財情報には、東京第二陸軍造兵廠板橋工場の遺構と近代化遺産」(http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/068/068434.html )があり、とても参考になります。

 

さて、以下米国公文書館の資料をいくつかご紹介したいと思います。まず、戦後において、米軍が旧日本軍の東京第一陸軍造兵廠の尾久や十条の工場、東京第二陸軍造兵廠の王子や板橋工場を接収したことに関する情報があります。




RG 331 Entry UD1616 Box 4277 Records of Allied Operational and Occupation Headquarters, World War II, 1907 – 1966, National Archives at College Park, College Park, MD



こうした地域を接収後、米軍は東京兵器補給廠 (Tokyo Ordnance Depot)を発足させました。以下の資料は東京兵器補給廠に関する報告書の1部ですが、そこでは民間人も含めて合計11,537名が働いていたとあります。

 


RG 338 Entry UD 37042  Box 5193 Records of U.S. Army Operational, Tactical, and Support Organizations (World War II and Thereafter), 1917 - 1999 , National Archives at College Park, College Park, MD


こうした報告書とともに、トレーニング書類として以下のようなものもありました。英文の下に丁寧に日本語訳が書かれています。つまり、この東京兵器補給廠では日本人が働いていたということを意味します。



RG 338 Entry UD 37042  Box 5193 Records of U.S. Army Operational, Tactical, and Support Organizations (World War II and Thereafter), 1917 - 1999 , National Archives at College Park, College Park, MD


この東京兵器補給廠に関する写真資料も米国公文書館にはたくさんあります。以下の写真は、そこで働く日本人労働者、敷地内にある戦車や旧日本軍のライフルをあらためて米軍が再利用しようとしているものなどです。



Left: Photograph No.321516 Tokyo Ordnance Center April 1949 RG 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD

Right: Photograph No.436839 Tokyo Ordnance Depot 9/24/1955  RG 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD




Left: Photograph No.367083 CINC inspects Tokyo Ordnance Depot 5/23/1951 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD

Right: Photograph No.389529 Tanks returned from Korea for repair at Tokyo Ordnance Depot 12/6/1951 RG 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD



1950年6月25日の朝鮮戦争勃発とともに、この東京兵器補給廠での兵器の製造、修理、管理作業も一気に増大したのではないかと思われます。朝鮮戦争は1953年7月27日で休戦しましたが、その後の東京兵器補給廠における日本人労働者の管理強化や人員削減に対して日本人労働者側がストライキを起こしていた写真もありました。



Left: Photograph No.435863 Japanese picket lines at the entrance of  Tokyo Ordnance Depot 8/13/1953  111-SC National Archives at College Park, College Park, MD

Right: Photograph No.454200 Demonstration by Japanese Steel Union at Plant No. 6  Tokyo Ordnance Depot 12/6/1951 RG 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD


東京兵器補給廠の中心部隊であった米陸軍8160部隊は近くの赤羽の孤児院のスポンサーとなっており、しばしば孤児院を訪れている写真もありました。



Left: Photograph No.430457 Akabane Orphanage 3/13/1953 , 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD

Right: Photograph No.435859 Akabane Orphanage 8/11/1953 , RG 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD


東京兵器補給廠の米軍はその存続において、日本人労働者の雇用や、孤児院支援など地域に対して意図的な取り組みをしていたと思います。下記の写真はすでに朝鮮戦争が休戦してからの時代ですが、米軍記念日としてのイベントで地域の子ども達を東京兵器補給廠内に招いたときのものです。太平洋戦争が終って10年目、まだ当時の日本人にとっては戦争の記憶が生々しいものであり、戦勝国側としての米軍側の意図と、敗戦国の日本人の意識にはかなりのギャップがあったのではないかと私は思ってしまいます。こうしたイベントで戦車を見た日本の子ども達は何を思っていたかのかについてとても気になります。


Photograph No.506618 School children inspect an M26 Tank at Tokyo Ordnance Depot  5/21/1955 , 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD

 

東京兵器補給廠に関する空中写真も何枚かあります。以下の写真の、手前中央に見える建物は、かつての旧日本軍東京第一陸軍造兵廠の本部の建物であり、現在でも東京都北区中央公園の中に存在し、文化センターとして使われているかと思います。


Photograph No.434468 Aerial view of the Tokyo Ordnance Depot 8/19/1953, 111-SC National Archives at College Park, College Park, MD


今回は戦後まもなくから1950年代の東京兵器補給廠に関する資料を見てみました。1960年代のベトナム戦争中は、この地域は王子キャンプとも呼ばれ、米軍基地としての新たな役割が課されていきました。そのキャンプには、王子野戦病院も作られ、ベトナム戦争での負傷兵が収容されることになりました。日本の反戦運動においても王子野戦病院開設反対闘争も注目されました。1960年代の東京兵器補給廠については、あらためて別の機会に記事を書きたいと思います。(YN)