フォークダンスと娯楽

自分が小さかった頃と比べると、今は本当に娯楽の種類が多くなりました。子供たちは電子機器に釘付けですし、本場アメリカに負けないような大規模な遊園地ができたり色々な種類のスポーツも楽しめるようになりました。

 

偶然、戦後間もなくの娯楽についての資料を米国国立公文書館で見つけました。

長崎軍政府(Nagasaki Military Government Team)の書類で、ウィンフィールド・ニブロ(Winfield P Niblo)という民間情報教育局(Civil Education Officer)の教官の表彰、という内容のものでした。

ニブロ氏が表彰された理由は娯楽としてスクエアダンス(フォークダンス)を日本で広めたことでした。Wikipediaによると「日本のフォークダンスの父」とも称されたようです。

この書類がニブロ氏を推薦しているものです。

 


Recommendation for Exceptional or Meritorious Award; 230(0331) DAC’s 1947-1948 (Box 3110), Civil Affairs section: Kyushu Civil Affairs Region; Decimal File, 1947-48 (Entry# UD1559), Allied Operational and Occupation HQ, Record Group 331; National Archives at College Park, College Park MD

 

ニブロ氏はコロラド州デンバー出身で元フットボールコーチでした。長崎には1946年6月に赴任しました。彼は、ここで日本の人たちには男女関係なく一緒に手軽に出来るレクリエーションが必要であると感じ、スクエアダンスを長崎の人たちに広めようと思いました。平日のうち3日から5日は勤務後の夜、そして週末と自分の時間を割いて長崎県内のいたるところでスクエアダンスの指導にあたり普及につとめました。スクエアダンスを通じて、自己表現が苦手で恥ずかしがり屋の日本人の傾向を変えるのに大きく貢献しました。

 

学校の体育の時間にもスクエアダンスが採用されました。先生も生徒も踊るのは最初はとても恥ずかしかったようですが、ニブロ先生の指導の下、楽しく踊れるようになったようです。九州の他県からも教育関係者がスクエアダンスの講習に長崎を訪れたようで、スクエアダンス熱は長崎にとどまらなかったようです。

体験者の声が添付書類としてありましたが、多くの警察関係者もスクエアダンスを習っていたようで面白いです。

 

長崎県佐世保市ハウステンボスにはニブロ氏の記念碑があり、「ウィンフィールド・P・ニブロ記念/佐世保ハウステンボス・フォークダンスフェスティバル」が開催されたこともありました。

 

当時の人々がスクエアダンスに興じている写真があれば良かったのですが、残念ながら見つかりませんでした。しかし、戦後の人々の娯楽関係で面白い写真がありましたのでご紹介いたします。

 

RG 306-NT

Records of the U.S. Information Agency

Prints and Negatives: Photographic Files of the Paris Bureau of the New York Times

Ca 1900-1950

Prints: Japan

1149-H-13  At American Fair in Japan

Osaka, Japan, March 20: The American occupation forces in Japan have arranged an American Fair featuring miniature scenes of the United States to acquaint Japanese people with America’s outstanding landmarks.  This is a Japanese family at one of the displays at the Fair with a reproduction of Mt. Rushmore in the background.

 

この写真は1950年(昭和25年)兵庫県西宮市の阪急西宮球場を中心に開催された「アメリカ博覧会」に来ている家族連れです。まだ占領下であった時期です。

 

RG 306-NT

Records of the U.S. Information Agency

Prints and Negatives: Photographic Files of the Paris Bureau of the New York Times 

Ca 1900-1950

Prints: Japan

1152-F-3

Myoko, Japan—During the New Year holiday celebration, school was closed to allow the children to join in the celebration.  These children, from this rugged west coast town of Japan, were required to make a sketch of Mt. Myoko(background).  They are racing home, carrying drawing materials under their arms.  

 

これは冬休み中の子供たちの様子です。学校の宿題で冬休み中に妙高山をスケッチするという課題が出ていて、スケッチが終わって家路に急いでいる様子です。画板がなつかしいですね。

 

RG 306-NT

Records of the U.S. Information Agency

Prints and Negatives: Photographic Files of the Paris Bureau of the New York Times 

Ca 1900-1950

Prints: Japan

1155-Q-20

Tokyo, Japan-A baby elephant displays her strength. Indira, presented to the children of Japan by Prime Minister Jawaharlal to Wehru of India, wins a tug-of-war over fifty opponents at the Ueno zoo here.

 

これは上野動物園でインドから贈られた子象が50人と綱引きをしている様子です。象の方が優勢に見えます。

 

博覧会や動物園に行く、デッサンする、というのは今も昔も変わらないようです。これらの写真より戦争で疲弊した日本から新たな一歩を踏み出しているのが感じられます。 娯楽はいつの時代でも必要なものですね。(M.U)