アジア美術博物館の1つであるフリーア・ギャラリー

新年早々、能登半島の大地震、そして羽田空港での民間機と海上保安庁の飛行機との衝突事故と

いう大惨事が起こり、犠牲になられた方々には心より深くご冥福をお祈り申し上げます。また、今も大変な困難な状態にある被災者の方々にも心よりお見舞いを申し上げます。

 

ワシントンDCのスミソニアン博物館群には、ホロコースト博物館、航空宇宙博物館、ナショナル・ギャラリー(美術館)、アメリカ歴史博物館、アメリカ自然史博物館、アジア美術博物館、アメリカ・インデアン博物館、アフリカン・アメリカン博物館があり、どの施設も見ごたえのある素晴らしい展示会場になっています。

 

今回は、それらの中の、アジア美術博物館(National Museum of Asian Art)を構成する2つのコレクションである、フリーア・ギャラリー(Fleer Gallery of Art) とサックラー・ギャラリー(Arther M. Sackler Gallery)のうち、昨年、創立100年を迎えた、フリーア・ギャラリーと先日見てきた展示の一部についてご紹介をしたいと思います。


 

チャールズ・ラング・フリーア(Charles Lang Freer: 1854-1919)は、ニューヨーク州のキングストンという町に生まれましたが、中学生のときに母が亡くなり、父は病気がちであったことから、学校をやめて地元のセメント工場で働き始めました。その後鉄道会社での経験を積んだあと、デトロイトに移り、鉄道車両を作る会社を作り、たたき上げの実業家として、巨万の富を築くことになりました。

 

彼は、当時のヨーロッパで活躍していたアメリカの画家のジェームズ・マクニール・ホイッスラー(James McNeill Whistler: 1834-1903)の作品とその本人との出会いを通じて、アジアの美術に対して深い関心を持つようになり、コレクターとして精力的に活動するようになりました。ホイッスラーは、当時のイギリスのジャポニズム(江戸時代末期の開国によって日本の美術品が欧米に出回ることになり、欧米の芸術家たちが、その表現方法を取り入れた。)に早くから影響を受けており、そうしたホイッスラーとの出会いが、フリーアを日本美術を含むアジア芸術に開眼させることになりました。フリーアは自分で収集したコレクションをのちに、スミソニアン協会に寄贈し、そのコレクションをもとに、1923年にフリーア美術館ができました。(参考:フリーア美術館(米国ワシントンDC) 門外不出の日本美術の宝庫:https://archive.asia.si.edu/press/downloads/FactSheet_FreerSackler-JP.pdf)フリーア・ギャラリーとサックラー・ギャラリーを合わせてアジア美術博物館としては、現在46,000以上の美術品があります。(参考:National Museum of Asian Art: https://asia.si.edu/about/#:~:text=We%20hold%20in%20trust%20for,works%20from%20the%20Aesthetic%20Movement.)

 

Top: Tawaraya Sotatsu (act. ca. 1603-1643) Screes with Scattered Fans. Japan, Edo period, early 17th century. Color, gold, and silver over gold on paper. F1902.24.

Bottom: Tawaraya Sotatsu (act. ca. 1603-1643). Mimosa tree, poppies and other summer flowers. Japan, Edo period, 1630s-1670s. Six panel folding screen; ink, color, and gold on paper. F1902.92

 

現在、開催されている日本関係の展示の1つは、「琳派」(りんぱ)の屏風絵です。、「琳派」とは、江戸時代初期の俵屋宗達(1603?-1643?)をはじめ都市、中期には尾形光琳(1658-1716)、後期には、酒井抱一といった画家に受け継がれた、金箔や銀箔を背景に使った大胆な構図、また模様を繰り返していくような作風を特徴としています。上の2つの作品は、俵屋宗達の「扇面散図屏風」と合歓木芥子図屏風」です。展示室内は、照明を抑えており、もちろんフラッシュ撮影はできませんので、写真は暗めになっていますが、それでも豪華絢爛な雰囲気で、これらの屏風図の前に立つと圧倒させられる思いになります。

 


Left: Sutra Container with Cover. Japan, Nara period, 724. Gilt bronze. F1909.253AB. 

Right: Horokaku Mandara. Japan, 12th century. Color and gold on silk panel. F1929. 2a-c. 

 

また、仏教書にみる叡智というテーマの展示もありました。 上の左の作品は、奈良時代の仏教の経典を入れたブロンズの入れ物で、真言密教の本尊とされる大日如来が刻まれており、森羅万象そのものを示すと言われています。右の作品は、平安末期から鎌倉時代にかけての「宝楼閣曼荼羅図」と呼ばれるものです。宝楼閣とは仏教では、如来や菩薩や守護神などどいった諸尊が住む宮殿のようなもので、それを讃えて人々の過去の罪悪を消滅させたり、無病息災を祈る儀式があり、その本尊として使ったのがこのを宝楼閣曼荼羅図であったと言われています。  

 

Brocade, silk. A Buddhist monk’s robe, patched, kesa. Japan, Edo period, 1615-1868. Silk. F1916. 664.

https://asia.si.edu/explore-art-culture/collections/search/edanmdm:fsg_F1916.664/ 

 

別の展示は、“Mounting(マウンテイング)”に関するもので、その言葉を聞いて、私は、すぐに、絵画や書画の額、またはそれらを支える掛け軸といったことがすぐに結びつかなかったのですが、その展示を見ることで、その意味をよく理解をしました。紙や絹といった脆弱な材料からつくられている美術品への装飾的な枠組みをつけ、同時に、その美術品を保管し、鑑賞することができるように構造的な補強をする、という掛け軸の表装をテーマにしたものでした。そうした表装は、必要に応じて解体したり、修理できるものであり、その表装を施すには、その美術品そのものの価値を見極めることができる能力、つまり高い美意識をもった経験と技がなければできないものでした。掛け軸の表装技術は、今から1300年前に中国から日本へ伝えられたそうで、フリーアは20世紀初頭にそうした表装技術の専門家を雇用して、日本から米国へ招き、彼のコレクションの美術品にあらためて表装をさせて、スミソニアン博物館に寄付準備をしました。

 

上の作品は、江戸時代の僧が着ていた絹で作られた袈裟の一部ですが、こうした布も美術品の掛け軸の表装として使われていました。現在もこの博物館では、美術品を守る掛け軸の表装の解体や修理をしているということで、こうした掛け軸の表装の歴史と実践は非常に興味深いものであると思いました。

 


Left: The Princess from the Land of Porcelain (La Princesse du pays de la Porcelaine). 1864. James McNeill Whistler (1834-1903). Oil on canvas. F1903. 91a-b. 

Right: Art and Money; or, The Story of the Room, from Harmony in Blue and Gold: The Peacock Room. 1876-1877. James McNeill Whistler (1834-1903). Oil paint and gold leaf on canvas, leather, mosaic tile, and wood. F1904.61.

 

一連の展示室の隣に、「孔雀の間」と呼ばれる部屋があります。もともとは、フリーアの友人であった画家のホイッスラーが、自分のパトロンでもあったイギリス人の大富豪から室内装飾の依頼をうけて、作成したものでした。ダイニングルームの壁全体に青みが勝った、濃い緑色を塗り、その上に金色の孔雀を描きましたが、これは大富豪の意向を無視したものであったために、その大富豪は激怒してしまいました。その時の様子が、この部屋の正面にある、上の右の2羽の孔雀で、左側の孔雀がホイッスラーで、右側の孔雀がその大富豪であったと言われています。また、この正面の孔雀絵の向かい側の壁にかけられた絵画は、日本語では、「陶磁の国の姫君」という題で知られているホイッスラーの絵です。

 

この大富豪の邸宅のダイニングルームは、その後競売にかけられて、フリーアが購入し、彼のデトロイトの自宅に置かれることになりました。その後、この博物館に移されて現在に至っています。

 

ホイッスラーのジャポニズムの作品はたくさんありますが、下の2つの作品もよく知られているかと思います。左下は、「紫と金のカプリース(奇想曲):金屏風」という作品で、 日本の金屏風で部屋を囲み、その中に紫色と白の着物をきた女性がおそらく浮世絵を見ているといった様子です。また、右下は、色とりどりの着物をきた4人の女性たちが三味線を弾いたり、お酒を飲んだりしながら、テムズ川をバルコニーから眺めている様子です。川の向こうはすでに煙突や煙が見えて工業化が進んでいることもわかります。

 


Left: Caprice in Purple and Gold: The Golden Screen. 1864. James McNeill Whistler (1834-1903) Oil on wood panel. F1904.75a.

Right: Variations in Flesh Colour and Green: The Balcony. 1864-1873. James McNeill Whistler (1834-1903) Oil on wood paint. F1892.23a-b. 

 

ホイッスラーの作品には、19世紀後半のロンドンやパリの街が開発や工業化によってどんどん変わっている様子、またそうした変化の中で生きている庶民の姿もたくさん描いているものもたくさんあります。下の左の作品は、「ディエップの花売り」というもので、フランスのノルマンディーのディエップの街の様子がうかがわれます。

 

Above:Flower Market:Dieppe. 1885. . James McNeill Whistler (1834-1903) Water color on paper. F1907.171a-b. 

 

今回ご紹介した作品については、この博物館のサイトのコレクション検索サイト(https://asia.si.edu/explore-art-culture/collections/search/ )からもダウンロードができます。現在の展示では、江戸時代から大正時代まで活躍した文人画家であり、儒者であり、教育者でもあった富岡鉄斎や、彼が師事した女流歌人かつ陶芸家の太田垣連月の素晴らしい作品もあり、実は今回のブログ記事のためにそれらの作品の写真もたくさん撮ってきました。が、それらの作品は、勝手にブログ記事に掲載することができないため、今回は控えることにしました。それらに関しては、上記のサイトからダウンロードはできませんが、少なくとも、一部の画像は、そのサイトからご覧いただくことができますので、お時間があるときにご覧いただけたらよいなと思います。

 

いずれにしても、ワシントンDCにある、このフリーア・ギャラリーを含むアジア美術博物館には貴重な美術品がたくさんありますので、いつか機会がありましたら、是非訪れていただきたいと思っています。

 

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。(YNM)