自由のための戦士たち

スミソニアン・アメリカ美術館のウィリアム・ジョンソン展から

ワシントンDCの米国国立公文書館からチャイナタウン方面に向かって5分ほど歩くと、スミソニアンアメリカ美術館 (Smithsonian Art Museum) と国立肖像画美術館 (National Portrait Gallery) の2つの美術館が入ったギリシャ建築の大きな建物があります。


(2024年5月6日筆者撮影。以下同様。)

 

この建物は、ワシントンDCの中の一番古い建物の一つとして知られています。その歴史は、1836年のアンドリュー・ジャクソン大統領が特許オフィスの建設命令を出したところから始まりました。南棟ビルから建設が始まり、それから東西棟の建設、そして北棟の建設と少しずつ進み、最後の北東が完成したのは1868年のことでした。南北戦争中(4/12/1861-4/9/1865)には、この建物は病院や戦闘で亡くなった兵士達の遺体安置所として使われていました。リンカーン大統領の就任の舞踏会もここで開催されました。

 

1968年にスミソニアン・アメリカ美術館と国立肖像画美術館としてスタートして以来、1階から3階までの展示会場には、少なくとも数時間は要してしまうような膨大なコレクションが展示されており、また時期によって、いろいろな特別展も開催されており、とても興味深い美術館です。ナショナル・ギャラリー・オブ・アートを含むスミソニアン博物館・美術館は、ナショナルモール内にありますが、それらとは異なって、ワシントンDCのチャイナタウン近くにあるこの美術館も壮大なので、ワシントンDCにいらっしゃることがあれば是非ご覧いただきたい美術館です。

 

現在、特別展の一つとして開催されているのが、「自由のための戦士たち:ウィリアム・ジョンソン展」です。

 


Self Portrait with pipe. ca.1937. Oil on canvas. Smithsonian American Art Museum, Gift of the Harmon Foundation. 1967.59.913. 

 

上の絵は、ウィリアム・ヘンリー・ジョンソン (Willia Henry Johnson: 1901-1970) の1937年ごろの自画像です。サウスキャロライナ州のフローレンスで生まれたウィリアムは、17歳でニューヨークに移り住み、いろいろな仕事をしながら、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインという名門の美術学校に入学し、そこで、たくさんの賞を受賞しました。その後、ウィリアムは、1920年後半をフランスで過ごし、当時のモダニズムを吸収することになりました。当時は、イタリアのモディリアニや日本の藤田嗣治などを含めて「エコール・ド・パリ」というパリで外国人画家たちが活躍していた時代で、ウィリアム自身にとってもさぞ刺激的な時代であったと思います。彼がパリにいたときに、デンマークの画家であったホルチャ・クラーケ(Holcha Krake: 1885-1944) と出会い、結婚し、1930年代は、彼らはスカンジナビア半島で過ごしました。これらの時代の、ウィリアムの絵は、今回の展示にはありませんが、印象派の影響を受けていたものが多く、表現がとても豊かであると思います。それらの作品の例は、スミソニアンアメリカ美術館のサイトからも見ることができます。

 

*ポルトの古い家:Vieille Maison at Porte:

https://americanart.si.edu/artwork/vieille-maison-porte-12657 

 

*デンマークの日暮れ:Sun Setting, Denmark:

https://americanart.si.edu/artwork/sun-setting-denmark-12089

 

*港、スヴォルヴァー、ロフォーテン島:Harbor, Svolvaer, Lofoten:https://americanart.si.edu/artwork/harbor-svolvaer-lofoten-11734 

 

 1938年にウイリアムはホルチャとともにアメリカに帰国し、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジを拠点に、アフリカン・アメリカンの伝統や歴史にフォーカスするようになりました。その中で、ウィリアムは、1940年代前半に、アフリカン・アメリカンの人権活動家、科学者、教師、音楽家、ダンサーへの賛辞、また人種差別や全体主義などと戦い平和をもたらす努力をした国際的指導者たちへの賛辞として、「自由のための戦士たち」というシリーズを描きました。

 


Left: Abrama Lincoln. ca.1945. oil on paper board. Smithsonian American Art Museum, Gift of the Harmon Foundation, 1967.59.643. 

Right: Three Great Abolitionists: A. Lincoln, F. Douglass, J. Brown. ca.1945. oil on paperboard. Smithsonian American Art Museum, Gift of the Harmon Foundation, 1983.95.51. 

 

左上の絵は、アブラハム・リンカーン( Abraham Lincoln: 1809-1865)というタイトルで、リンカーン大統領に関するエピソードを描いたものです。ログキャッビンで生まれ育ったリンカーンが、のち大統領になり、奴隷解放宣言をしたこと、その後ジョン・ブース(John Wilkes Booth: 1838-1865)によって暗殺されたこと、ジョン・ブースの協力者は逮捕され、処刑されたことなどが語られています。

 

右上の絵は、3人の奴隷制度廃止論者というタイトルで、左からジョン・ブラウン(John Brown: 1800-1859)、フレドリック・ダグラス(Frederick Douglass: 1818-1895)、そしてリンカーン大統領の3人が握手をしています。3人は、奴隷廃止をすることにおいては、共通の目的を持っていましたが、どのようにしていくかというところではそれぞれの考え方とやり方はかなり異なっていました。なので、この絵は、ウイリアムが考えた理想であり、またこの3人が、和解できたらという願いを表現したのではないかと思います。

 


Left: Harriet Tubman. Ca 1945. Oil on paperboard. Smithsonian American Art Museum, Gift of the Harmon Foundation, 1967.59.1146. 

Right: Three Great Abolitionists: A. Lincoln, F. Douglass, J. Brown. ca.1945. oil on paperboard. Smithsonian American Art Museum, Gift of the Harmon Foundation, 1967.59.645. 

 

左上の絵は、ハリエット・タブマン(Harriet Tubman Davis: 1823? -1913)というタイトルで、彼女は、奴隷解放家であり、アンダーグランド・レイルロード(地下鉄道)の指導者の一人でもありました。アンダーグランド・レイルロードとは、奴隷制が認められていた南部の州から、奴隷制度が廃止されていた北部の州や、カナダへ奴隷を亡命させる組織でした。また彼女は、北軍に従軍しながら、たくさんの奴隷を救出しました。この絵のハリエットは、銃を持って凛として立っています。右横の姿は、晩年のもので、1897年に、イギリスのビクトリア女王が、ハリエットの話を知って、ハリエットに敬意をこめて送ったとされるショールを頭に被っている姿が描かれています。

 

右上の絵は、アンダーグランド・レイルロードというタイトルです。ペンシルバニアの奴隷解放家であり、アンダーグランド・レイルロードの指導者の一人であったウィリアム・スティル(William Still :1821--1902)が、自分の体験をもとに、1872年に『アンダーグランド・レイルロード』という本を出版しました。ジョンソンは、その本の中から、36人の人物を選んで、それをもとにこの絵をかきました。残酷な奴隷支配者によって抑圧された生活や、追手から必死に逃れようとする過程、そして人種を問わずそうした奴隷たちを援助する人々を描いているようです。

 


Left: Marian Anderson. Ca 1945. Oil on paperboard. Smithsonian American Art Museum, Gift of the Harmon Foundation, 1967.59.657. 

Right: Booker T. Washington Legend. ca.194401945. Smithsonian American Art Museum, Gift of the Harmon Foundation, 1967.59.664. 

 

左上の絵は、マリアン・アンダーソン(Marian Anderson: 1897-1993)です。幼いころから教会の合唱団のメンバーとして歌の才能を発揮していた彼女は、オペラのアリア、スピリチュアル、ゴスペルの演奏で世界的に有名なアルト(コントラルト)歌手となり、1930年代初めにすでにヨーロッパでは名声を得ていました。彼女は、ヨーロッパだけでなく南米の国々でもツアーを行い高い人気を得ました。しかしながら、当時のワシントンDCのコンサートホールでは、人種を理由に彼女の公演ができず、エレノア・ルーズベルト大統領夫人(Anna Eleanor Roosevelt, 1884-1962)は、たくさんの組織とともに強い抗議活動を展開し、その結果、マリアンは、リンカーン記念堂で、歌うことになりました。彼女の1939年4月9日のワシントンDCのリンカーンメモリアルに響き渡った彼女の歌声は本当に素晴らしいものでした。この時の歌声は、YouTubeからでも聞くことができます。(Marian Anderson Sings at Lincoln Memorial:https://www.youtube.com/watch?v=mAONYTMf2pk

 

右上の絵は、ブッカー・T・ワシントン(Booker Taliaferro Washington:1856--1915)という米国の著名な教育者の一人で、アフリカン・アメリカンの男女に対しての講義をしています。黒板には、建築や農業に関する機器、また楽器やパレットやインクなどリベラルアーツを意味するものなどが描かれており、産業教育と一般教育の重要性を訴えているものです。彼は1881年アラバマ州にタスキギ職業訓練校(現タスキギー大学)を作り校長となりました。ブッカーとこの学校については、YouTubeからも知ることができます。(Booker T. Washington and the Tuskegee Institute:https://www.youtube.com/watch?v=PQeAPVB4dUw

 

ウィリアム・ジョンソンは、米国内だけではなく、世界の動きにも敏感であり、いろいろな絵を描きました。それらの中の2枚を最後に紹介したいと思います。左下の絵は、1943年11月のカイロ会談で当時の中国の国民党政府主席の蒋介石、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスのウィントン・チャーチル首相で、日本との戦争の戦後処理を話し合ったもので、この絵では、蒋介石が戦闘の現況を見ながらより強力なサポートを米国やイギリスから受けようと考えているように思えます。また右下の絵は、イギリスのインド植民地支配に対して非暴力運動からの抵抗と独立を推進したマハトマ・ガンディーこと、モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi: 1869—1968) と、インドの最初の首相になった、ジャワハルラール・ネルー(Jawaharlal Nehru:1889--1964)の二人を描いたものです。この二人は、インドの完全な独立を目指していましたが、ガンディーは 解放後のインドに伝統的主義な社会を構想しており、ネルーは国際社会の中の近代的なインドを構想していました。この二人の周りには、植民地時代の犠牲者たちが描かれているようです。

 


Left: Historical scene-WWII ca.1945 oil on paperboard. Smithsonian American Art Museum, Gift of the Harmon Foundation, 1967.59.659. 

Right: Nehru and Gandhi. ca.1945 oil on paperboard. Smithsonian American Art Museum, Gift of the Harmon Foundation, 1967.59.665. 

 

ウイリアム・ジョンソンと妻のホルチャ・クラーケとの写真(1937年頃)が、、ナショナル・ギャラリー・オブ・アートのサイトには掲載されています。(William H. Johnson:https://www.nga.gov/features/exhibitions/outliers-and-american-vanguard-artist-biographies/william-h-johnson.html

 

その写真が撮影された数年後の、1944年に、不幸にも、ウイリアム・ジョンソンの妻が病死してしまいました。それをきっかけに彼の心身の健康状態は、劇的に悪化し、その後1970年に亡くなるまで、ロングアイランドの州立病院で過ごすことになり、残念なことに彼の芸術活動も途絶えてしまいました。

 

しかしながら、このスミソニアン・アメリカン美術館には、ウイリアム・ジョンソンの絵画が1000点以上収蔵されています。これらは、スミソニアン・アメリカン美術館のサイトで検索して見ることができます。(https://americanart.si.edu/search?query=William%20Johnson

 

その中の今回展示された、「自由のための戦士たち」シリーズは、人種差別、暴力、抑圧の中でもそれに屈することなく自由と平等、そして平和に向かって、怯むことなく、闘い続けてきた人々の功績を称えるものであり、その悪戦苦闘そのものは、現代の米国においても世界においても今もなお続くものであるからこそ、このウイリアム・ジョンソンの特別展は、とてもタイムリーなものであると私は思っています。(YNM)