ワシントンDCの米国国立公文書館内では、今年の3月から7月までは、「パワーとライト:ラッセル・リーの炭鉱調査」(Power & Light: Russell Lee's Coal Survey:https://museum.archives.gov/power-and-light-russell-lee-coal-survey )という展示が開催されています。イリノイ州出身の写真家でありジャーナリストでもあったラッセル・リー(Russell Lee: 1903-1986) は、ルーズベルト政権下の、大恐慌の影響を受けた農業の救済と復興を目指す農業安定局(FSA:Farm Security Administration)のおける写真記録を残すために雇用されたことをきっかけとして、米国内のいろいろな地域と人々の生活を撮影しました。彼は、真珠湾攻撃後、日系収容所に収容された日系人の写真を撮影したカメラマンの一人でもありました。戦後は、内務省による米国内の炭鉱地域の医療調査に関わり、炭鉱地域の人々の写真を撮りました。
それらの炭鉱関係の写真は 米国国立公文書館に 全部で約9000枚近くあり、それらのうちの約半数がデジタル化されているようです。これらのすべての写真が、ラッセル・リーによって撮影されていたわけではないのですが、それでも彼の多くの写真を見ることができます。左下は、米国国立公文書館のサイト上の、「炭鉱産業の医療調査の写真」(Photograph of the Medical Survey of the Bituminous Coal Industry, 1946-1947, ) の画面です。このタイトルの、”Bituminous” という言葉は、「バトゥミマス」と読み、歴青炭/瀝青炭(れきせいたん)という代表的な石炭で、比較的柔らかいものであると言われています。
Left: https://catalog.archives.gov/id/540230
Right: A miner. P V & K Coal Company, Clover Mine, Lejunior, Harlan County, Kentucky.9/13/1946. No. 245-MS-2525L. RG246, Records of the Solid Fuels Administration for War 1937-1948, Series: Photographs of the Medical Survey of the Bituminous Coal Industry1946 – 1947 NAID: 541294. https://catalog.archives.gov/id/541294
これらの写真はすべて、レコード・グループ246の戦時固形燃料管理局記録(Records of the Solid Fuels Administration for War 1937-1948)という資料群の中の、石炭産業の医療調査の写真(Photographs of the Medical Survey of the Bituminous Coal Industry1946 – 1947 )というシリーズのものとなります。このシリーズの写真はたくさんあり、今回はそれらのほんの一部をご紹介したいと思います。
左下の写真は、炭鉱内で、石炭の積み込み作業員が、粘土が固まってできた堆積岩で、薄い板状に割れる粘板岩(スレート)と石炭を、機械で粉砕した、バクダスト(虫の粉)と呼ばれるものを貨車に積んでいるものです。1回の作業で、2トン、1日の合計で16から17トンの積載量になります。右は、その作業員が、石炭の固い層を崩すためにその分を爆破させるために、火薬を詰めて点火の準備をしている様子です。
Left: Harry Fain, coal loader, loads "bug dust" which is mixed slate and coal ground by the undercutting machine. He will load about 2 tons net coal in this operation. His total loading for the day will be 16-17 tons. Coal seam is 4 feet thick. Inland Steel Company, Wheelwright #1 & 2 Mines, Wheelwright, Floyd County, Kentucky.9/24/1946
No. 245-MS-3244L. NAID: 541478. https://catalog.archives.gov/id/541478
Right:Harry Fain, coal loader, tamping the powder charge preparatory to ignition. Inland Steel Company, Wheelwright #1 & 2 Mines, Wheelwright, Floyd County, Kentucky.9/24/1946. No. 245-MS-3243L.
NAID: 541477. https://catalog.archives.gov/id/541477
こうした写真を見ただけでも、炭坑内の作業は、出入り口から、かなり離れた、暗いところでの作業であり、息苦しいところではないだろうとかと想像してしまいます。しかも、その作業は、坑内の地質や岩盤状態による影響もあり、さらに、ガスの噴出や地下水の流出、そして落盤や落石などの可能性が常にあるはずなので、どれほどの肉体的及び精神的負担が強いられるのかと思うと、緊張感があります。下の写真は、ようやく1日の作業を終えて、外にでていた作業員達の様子です。
Left: Blaine Sergent, left, comes out of the mine at the end of the day's work. P V & K Coal Company, Clover Gap Mine, Lejunior, Harlan County, Kentucky. 9/13/1946. No. 245-MS-2524L NAID: 541293. https://catalog.archives.gov/id/541293
Right: John Roman, Robert Rose and John Nakitis, miners. H. C. Frick Coal Company, National #3 Mine, Muse, Washington County, Pennsylvania. 6/12/1946. No. 245-MS-71L. NAID: 540253. https://catalog.archives.gov/id/540253
炭鉱で働いていた人々の家は、その会社が支給するか、賃貸するかなどのいろいろな条件があったようです。左下の写真は、6人の子ども達を抱える作業員の家族の家で、雨漏りがするために、会社が雨漏り防止用のテープを張ったようですが、それでも雨漏りがすると話しているもの、また右下の写真は、家族6人が、たった2つのベッドで寝ているというかなり過酷な状態を語っているものです。もちろんすべての家庭がそうした状態であったわけではなく、それぞれの地域や働く会社によってもかなり差があったのではないかと思われます。
Left: Mr. and Mrs. Ceph Holland and their six children in front of their three room house about which they said, "They (the company) put on a patch now and then and that don't stop it from leaking". Fox Ridge Mining Company, Inc., Hanby Mine, Arjay, Bell County, Kentucky. 8/31/1946. No. 245-MS-2152L. NAID: 541141. https://catalog.archives.gov/id/541141
Right: Bedroom in home of Murray Price, miner, six people sleep in these two beds. One larger boy is missing in picture. He sleeps in a bed on right. Black Mountain Corporation, 30-31 Mines, Kenvir, Harlan County, Kentucky. 9/6/1946. No. 245-MS-2360L. NAID: 541268. https://catalog.archives.gov/id/541268
当時は、まだ水道や下水道の整備がされていない地域が多く、左下の写真のように、井戸水や川からの水を使うことが前提でした。なので、水を家へ持ってくるまでの労力と時間がかかり、その水を飲んだり、食器や衣服を洗ったり、また皆の風呂の分の水も工面しなければならなかったことを想像すると、生活は本当に大変なものであったのではないかと思います。また、その水も、清水であったのか、それとも、何かしらの汚染もあったかもしれない水であったかもしれません。どこの地域でも、右下の写真のように水道水が使えることは極めて稀でした。
Left: Miner's wife gets water from flowing well. She must cross the stream and carry water about a quarter of a mile to her home. Raven Red Ash Coal Company, No. 2 Mine, Raven, Tazewell County, Virginia.8/29/1946. No. 245-MS-2034L NAID: 541066. https://catalog.archives.gov/id/541066
Right: Young wife of a miner drawing water at the tap in her kitchen. This tap was installed by a former tenant; few houses have running water. Mullens Smokeless Coal Company, Mullens Mine, Mullens, Wyoming County, West Virginia. 8/23/1946. No. 45-MS-1811L NAID: 540942. https://catalog.archives.gov/id/540942
炭鉱で働く人々の家では、家が小さくとも大きな庭があり、そこで野菜を育てたり、鶏を飼って卵を産ませたり、また、野菜や果実を缶詰にしたりして、できるだけ自分たちでできることはするように努力していたことも伺えます。左下の写真は、庭で収穫したトウモロコシを台所で処理をしようとしているところであり、右下の写真は、収穫した野菜や果物を缶詰にして保存しようとしているところです。
Left: Most of the miners have large gardens and can much of the produce. Kentucky Straight Creek Coal Company, Belva Mine, abandoned after explosion [in] Dec. 1945, Four Mile, Bell County, Kentucky. 9/4/1946.No. 245-MS-2262L. NAID: 541215. https://catalog.archives.gov/id/541215
Right: Andrew Broughton with some of the 315 quarts of fruits and vegetables which his wife canned this summer. Fox Ridge Mining Company, Inc., Hanby Mine, Arjay, Bell Co, Kentucky.8/31/1946. No. 245-MS-2168L
NAID: 541153. https://catalog.archives.gov/id/541153
左下の写真の家の壁には、大きな十字架が飾られ、その隣には、猟銃が壁に掛けられています。現代の米国の特に都市部では、あまり宗教にこだわらなかったり、宗教が習慣的なものになっていたりする場合もあるかと思いますが、当時は米国全体として、信仰を強くもつ人々は多かったと思いますし、何よりも、炭鉱ではいろいろな事故も多かったはずなので、そうした信仰も生活の上では、重要な支えになっていたのではないかと考えます。また、ウサギやリスや鹿といった小動物の狩猟をして肉を食べるのは当時の米国の都市部以外の地域では、ごく当たり前のことでした。また、親たちがとても忙しいので、近所の子どもたちも、互いに面倒を見たり助けあったりするのも、それぞれの地域では普通のことでした。
Left: Mrs. Mack Jones, wife of a miner, and her four children. Fox Ridge Mining Company, Inc., Hanby Mine, Arjay, Bell County, Kentucky. 8/31/1946. No. 245-MS-2163L NAID: 541149. https://catalog.archives.gov/id/541149
Right: Children of miners standing at door of company house. Christopher Coal Company, Christopher #3 Mine, (Formerly Robinson Run #2) Osage, Monongalia County, West Virginia.6/14/1946. No. 245-MS-39L. NAID: 540235. https://catalog.archives.gov/id/540235
下の写真は、自家製の乳母車に乗せられた赤ちゃんとそれを引く子どもの姿と、子ども達で集まっていろいろな話をしている様子です。弟や妹の面倒を見るのは年上の姉や兄であったのは、日本でもよく見る光景でしたし、どんな環境においても、子どもたちは、エネルギーがあり、逞しく生きていたと思います。
Left: Children of miner living in company housing project. Note the homemade baby buggy made of a powder box. Union Pacific Coal Company, Reliance Mine, Reliance, Sweetwater County, Wyoming.7/9/1946. No. 245-MS-703L. NAID: 540560. https://catalog.archives.gov/id/540560
Right: Children of miners on the fence in front of the Howard house. Gilliam Coal and Coke Company, Gilliam Mine, Gilliam, McDowell County, West Virginia. 8/13/1946. No. 245-MS-1496L NAID: 540819. https://catalog.archives.gov/id/540819
左下の写真の学生は、高校1年生で、彼の家族の中では、小学校過程を終了した最初のメンバーでした。彼自身も、彼の父親も、彼が、高校過程をきちんと終了し、炭鉱で働くことはしない(させない)という決意をしています。当時の多くの若者は、父親同様に、炭鉱で働くことを当たり前としていたかと思いますが、中には、ほかの道を目指したり、大学進学を目指す学生もいました。また、右下の写真は、炭鉱で働く人々のトップレベルの作業員の一人で、年収が5400ドル以上でした。当時の炭鉱で働く人々の給料については、当時の米国労働省が出した、『炭鉱における賃金体系』』(Wage Structure in Bituminous Coal Mining, Fall of 1945:
https://fraser.stlouisfed.org/files/docs/publications/bls/bls_0867_1946.pdf?utm_source=direct_download)によると、作業の種類によっても異なりますが、大体週に最低でも45.64ドルであるとしているので、4週を1カ月として、182.56ドルとなり、12カ月1年で、2190.72ドルとなり、この写真の中の家族の主は、その2倍以上を稼ぐことができていたということになります。 家族のために一生懸命働き、そのお金で、持家を買い、また子ども達にいろいろな可能性を見つけてもらうこともできたかもしれません。しかしながら、一方では仕事場に行く度にいろいろなリスクがあったので、毎日、そこで働く本人も、また、彼が安全に帰ってくるようにと待っている家族も大変なことであったと思います。そうしたたくさんの人々が、米国の経済を支えてきました。
Left: Louis Sergent, 16, who is in the freshmen class at the Evarts High School. With the exception of his blind sister, Lucy, he is the first member of the entire family to complete grammar school. Both he and his father are determined that he will get his high school diploma and not work in the mines. Evarts, Harlan County, Kentucky.9/15/1946. No. 245-MS-2788L. NAID: 541372. https://catalog.archives.gov/id/541372
Right: Family of Henry Armour, one of top coal loaders in the mines here. Last year's income was in excess of $5400. Inland Steel Company, Wheelwright #1 & 2 Mines, Wheelwright, Floyd County, Kentucky.9/26/1946. No. 245-MS-3265L. NAID: 541489. https://catalog.archives.gov/id/541489
最後の1枚は、ユタ州の炭鉱で働いていた日系アメリカ人の部屋の様子です。名前がわからないのが残念ですが、部屋にたくさんの着物をきた日本人女性のポスターを飾ってあり、日本のことを恋しく思いながら、仕事をしていたのだろうと思いました。戦争中は、日系アメリカ人兵士として戦地に行っていたのか、それとも収容所で生活をしていたのかといろいろ気になってしまいました。
Quarters of Japanese miner who lives in company housing project. Hudson Coal Company, Hudson Mine, Sweet Mine, Carbon County, Utah.7/4/1946. No. 245-MS-564L. NAID: 540489. https://catalog.archives.gov/id/540489
このシリーズの写真はとても深いものであるので、また時間があるときに調べてみたいと思います。また、日本の炭鉱関係の写真もこれまでフェイスブックでご紹介したことがありましたが、あらためてもっと調べて、いつかまとめてご紹介できればと思っています。(YNM)