1945年8月6日の広島と8月9日の長崎への原爆が投下されてから今年は80年目となりました。1980年代後半には7万発程度存在していたと言われる核弾頭は、2025年1月の時点では、12405程度であると言われています。 (1)
しかしながら、現在の世界の局地的紛争では、そうした核兵器が使われかねない危険性があり、核兵器の廃絶への道はあまりにも程遠い現実に絶望的な思いを抱いてしまうこともしばしばです。しかしながら、それでも 現在を生きる私達ができることは何かを考えささやかなりに模索していくことは大切であると思っています。(2)
核兵器の研究の前提として、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを中心に放射線の発見があり、また、核分裂の発見がありました。その後の、1939年9月にドイツが、ポーランドへの侵攻し、第2次世界大戦が勃発し、その後ドイツでは原爆研究が進められているという情報により、危機感をいただいたアメリカ、イギリス、カナダでは、原爆研究が一気に進むことになりました。1942年9月には正式な国家事業としてマンハッタン計画となり、米国のテネシー州オークリッジには、ウラン濃縮工場、ワシントン州ハンフォードには、プルトニウム生産や科学分離工場、そしてニューメキシコ州のロスアラモス研究所では、原爆の設計開発と製造がそれぞれに進められていきました。当初は対ドイツ戦という前提があったと思いますが、その後は対日戦へと前提が変わっていきました。

MED 606. Manhattan District Geography. RG434OR Records of the Department of Energy, Prints: Photograph of Construction, Facilities, and Community Life at Oak Ridge and Other Manhattan Project Sites, 1943-1946. Box 13. National Archives, College Park, MD.
このマンハッタン計画で作られた原爆の、人類初の実験が、トリニティ・テストと呼ばれ、1945年7月16日に米国のニューメキシコ州のロスアラモスから南へ約210マイル(340キロ)いったところにある、アラモゴード爆撃場(現ホワイトサンズ・ミサイル実験場)で行われました。
このトリニティ(Trinity)という名称は、マンハッタン計画の責任者であった、米陸軍のレスリー・グローブズ(Leslie Richard Groves:1896-1970)に推薦されて、科学部門の責任者となり、またロスアラモス研究所の初代所長となった物理学者のロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer: 1904-1967)がつけたものです。トリニティはキリスト教の三位一体説(イエス・キリスト、彼が父と呼んだ神、そして聖霊)を意味するものですが、オッペンハイマーはそうしたキリスト教や、彼の両親のユダヤ教といった宗教とは特にかかわりがなかったようなので、むしろ彼がサンスクリット語に興味があり、ヒンドゥー教の3神一体(創造の神、維持の神、破壊の神) 神)から来ているのではないかとも言われていますが、あまりはっきりしないようです。
以下は、トリニティ・テストが行われた地域の地図です。

Trinity Test Site 1945. Page 479. The U.S. Army in World War II: Special Studies: Manhattan: The Army and the Atomic Bomb, by Vincent C. Jones, 1985. https://history.army.mil/Publications/Publications-Catalog/Manhattan/

Alamogordo, New Mexico, Trinity Test, July 16, 1945. Sleepy town was the jumping off place for Trinity Site. Photo No. 434SF-2-35. AEC-61-6293. RG434SF Records of the Department of Energy Prints: Research activities, 1945-1984. Box 1. National Archives, College Park, MD.

Alamogordo, New Mexico, Trinity Test, July 16, 1945. From his store in San Antonio, Joe Miera (shown with his grandson) watched “something the world has never seen before.” Photo No. 434SF-2-39. AEC-61-6289. RG434SF Records of the Department of Energy Prints: Research activities, 1945-1984. Box 1. National Archives, College Park, MD.
上の2枚の写真は、トリニティ・テストが行われた場所の北西にあったサン・アントニオの町の様子で、これまで眠ったような町であったところがトリニティ・テストの出発点であったこと、周辺の人々には、核実験の詳細はもちろん、警告や避難の必要も伝えることなく、「世界で今まで見たことがないすごいことが起こる。」といったことくらいしか伝えられていなかったようです。


Left:MED 326. Alamogordo, New Mexico, Trinity Test, July 16, 1945. AEC-61-6301. Sgt. Herbert Lehr delivered the gadget’s active material in a heavily protected, shock mounted container. Credit: Los Alamos Scientific Laboratory. US Atomic Energy Commission Office of Information Services, Washington, DC 20545. RG434OR Records of the Department of Energy, Prints: Photograph of Construction, Facilities, and Community Life at Oak Ridge and Other Manhattan Project Sites, 1943-1946. Box 14. National Archives, College Park, MD.
Right: Alamogordo, New Mexico, Trinity Test, July 16, 1945. Vital components are loaded at the Old McDonald Ranch for the trip to the test site. Photo No. 434SF-2-40. AEC-61-6285. RG434SF Records of the Department of Energy Prints: Research activities, 1945-1984. Box 1. National Archives, College Park, MD.
上の2枚の写真は、実験場から近いところにあった、マクドナルド牧場に保管されていた、核物質であるプルトニウムを、実験する場所へ移動しているものです。「ガジェット」と呼ばれたプルトニウム爆縮装置は約150センチほどの球体で、その中に、プルトニウムを入れ、周囲を爆薬で包み込むようにして、人為的に爆発を起こすことによって、中のプルトニウムを一気に圧縮させて、破壊的な大爆発をさせるという計画でした。この「ガジェット」と同型の爆弾のファットマンが後に長崎へ投下されることになっていました。
この「ガジェット」にフォーカスした写真は、ロスアラモス国立研究所のサイトの中のノリス・エドウィン・ブラッドベリー(Norris Edwin Bradbury:1909-1997)という、物理学者に関する記述の中にあります。彼は、1945年7月16日のトリニティ・テストのための「ガジェット」の最終組み立てを担当しました。その後、1943年から1945年10月16日までロスアラモス国立研究所の初代所長を務めたロバート・オッペンハイマー の後任として1945年10月17日から1970年までの25年間、ロスアラモス国立研究所の所長を務めました。Norris Bradbury: https://www.lanl.gov/media/publications/the-vault/0821-norris-bradbury)

MED 322. Gadget at base of tower, Trinity Site July 1945. Photo No. 434OR 42-20. AEC-61-6300. Alamogordo, New Mexico, Trinity Test, July 16, 1945. “The Gadget” waits at the base of the tower to be released to its firing position. Cable sent signals from the control point. Credit Los Alamos Scientific Laboratory. RG434OR Records of the Department of Energy, Prints: Photograph of Construction, Facilities, and Community Life at Oak Ridge and Other Manhattan Project Sites, 1943-1946. Box 14. National Archives, College Park, MD.

MED 318. Trinity Test Site Tower, July 1945. Photo No. 434OR 42-17. No captions on the back. RG434OR Records of the Department of Energy, Prints: Photograph of Construction, Facilities, and Community Life at Oak Ridge and Other Manhattan Project Sites, 1943-1946. Box 14. National Archives, College Park, MD.
上の2枚の写真は、「ガジェット」を高さ30メートルの塔に吊り上げる前の写真です。


Left: Trinity. Photo No. 434SF-2-10. Los Alamos Laboratory, CN63-341. RG434SF Records of the Department of Energy Prints: Research activities, 1945-1984. Box 1. National Archives, College Park, MD.
Right: MED 333. Photo No. 434OR-42-24. AEC-55-5294. Los Álamos, New México. The Fireball of the Trinity explosion, .053 seconds after detonation, as it shook the desert peer the town of San Antonio, New Mexico, on July 16, 1945. This first atomic devices, developed and built by the University of California’s Los Alamos Scientific Laboratory in New Mexico, had a yield equivalent to about 20 kilotons (20,000 tons of TNT). Credit Los Alamos Scientific Laboratory. RG434OR Records of the Department of Energy, Prints: Photograph of Construction, Facilities, and Community Life at Oak Ridge and Other Manhattan Project Sites, 1943-1946. Box 14. National Archives, College Park, MD.
この「ガジェット」は、1945年7月16日午前5時半に爆発し、「ガジェット」をつるしていた塔は一瞬で消滅し、巨大な爆風がその砂漠地帯一体に灼熱の熱を吹き付けて、観測者を地面にたたきつけました。そこから150マイル(320キロ)離れた場所にいた人々も、閃光と爆発と黒煙をみた事、また空が太陽のように照らされた事などを証言しました。しかしながら、この実験については、米軍による広島と長崎への原爆投下後までは明らかになることはありませんでした。(3)

MED 314. Ground Zero after test. Oppenheimer and Gen. Groves, July 1945. Photo No. 434OR-42-37. No captions on the back. RG434OR Records of the Department of Energy, Prints: Photograph of Construction, Facilities, and Community Life at Oak Ridge and Other Manhattan Project Sites, 1943-1946. Box 14. National Archives, College Park, MD.

MED 314. Chi-419a-9/10- Alamogordo, New Mexico. Major General Leslie R. Groves (right), Chief Manhattan Engineering District in 2hich 1st atomic bomb was developed, and Dr. J.R. Oppenheimer, view base of tower on which 1st atomic bomb hung when tested in wastelands, melted tower, seared sands. Photo No. 434OR-42-35. RG434OR Records of the Department of Energy, Prints: Photograph of Construction, Facilities, and Community Life at Oak Ridge and Other Manhattan Project Sites, 1943-1946. Box 14. National Archives, College Park, MD.
上の2枚の写真は、トリニティ・テストが終わったあとの、「ガジェット」をつるした塔があったところを調べる関係者達のもので、マンハッタン計画の責任者であった、米陸軍のレスリー・グローブズと科学部門の責任者かつロスアラモス研究所の初代所長であった物理学者のロバート・オッペンハイマーが見えます。
このトリニティ・テストの「成功」のあと、米国は1945年8月6日に高濃縮ウランを用いた原爆を広島に、その3日後の8月9日にはプルトニウムを用いた原爆を長崎に投下しました。その結果、その年末までに広島で約14万人、長崎でおよそ7万4千人が亡くなりました。また生き延びた人々も放射線によっていろいろな病気や後遺症に悩まされてきました。
2023年に米国で公開され、日本でも昨年公開された、クリストファー・ノーラン監督の映画「オッペンハイマー:Oppenheimer」の中でも、このトリニティ・テストの準備と爆発についても描かれていました。この映画はロバート・オッペンハイマーの原爆開発への取り組みの過程、戦後のスパイ容疑、そして水爆を推す米国原子力委員会委員長とのルイス・ストローズ (Lewis L. Strauss: 1896-1974) との確執などをテーマとしており、彼の倫理的ジレンマや矛盾、また当時の冷戦と米国の国家の論理に翻弄された悲劇も理解することができましたし、同時に科学の発展と科学者の在り方についても深く考えさせられました。しかしながら、原爆の惨禍を被った日本側からみるとやはり違和感を持たざるを得なかったところもありました。それは、オッペンハイマーという個人だけではなく米国社会による原爆のとらえ方が、今もなお日本とは、根本的に異なることにも起因するのだとも思いました。
近年では、1945年7月16日に行われたトリニティ・テスト後の3か月間に実験場の風下地域における乳幼児の死亡率が急激に増加した事、また、当時のニューメキシコ州の住民達は、その実験前に警告を受けたり、実験後に健康被害について知らされることもなく、避難勧告もなかった事、さらに当時の被爆率は、現在許容されているレベルの1万倍に達していた事などが指摘されており(4)、こうした研究と議論はもっと注目されるべきだと思っています。
太平洋戦争を含む第2次世界大戦の終結から80年目の夏を迎えてしまいました。世界においては、戦争は局地的に続いており、たくさんの市民が犠牲になり続けています。また、ロシアによるウクライナへの核の脅威であったり、北朝鮮やイランなどの核開発、さらにはそうした動きを抑えようとする核保有国との対立や紛争など、いわゆる戦後の核抑止力そのものが揺れています。科学の発展によって得る恩恵もある一方で、人類を破滅させるような大量殺戮の兵器の存在への脅威も常にあります。私達にとって何ができるのかと考えてもつい無力ではないかと感じてしまうのですが、短絡的になることなく、歴史から学び続け、地道に対話をしていく努力が必要だと考えます。(YNM)
注)
1)Nuclear risks grow as new arms race looms—new SIPRI Yearbook out now on 1/16/2025, from STOCKHOLM INTERMATIONAL PEACE RESEARCH INSTITUTE(ストックホルム国際平和研究所): https://www.sipri.org/media/press-release/2025/nuclear-risks-grow-new-arms-race-looms-new-sipri-yearbook-out-now
2)核兵器には大別して広島と長崎で使用された原子爆弾と、戦後以降多くの実験で使われてきた水素爆弾がある。核兵器とは?:https://spaceshipearth.jp/nuclear-weapons/
3)Trinity: World's First Nuclear Test, Air Force Nuclear Center: https://www.afnwc.af.mil/About-Us/History/Trinity-Nuclear-Test/
4)Trinity: “The most significant hazard of the entire Manhattan Project” by Kathleen M. Tucker, Robert Alvarez | July 15, 2019, Bulletin of the Atomic Scientists: https://thebulletin.org/2019/07/trinity-the-most-significant-hazard-of-the-entire-manhattan-project/#_edn1