国立アメリカ・インディアン博物館 ( National Museum of American Indian)

ワシントン・DCにある、スミソニアン博物館群の一つに、国立アメリカ・インディアン博物館 ( National Museum of American Indian) があります。2004年に開館した当初に家族で行ったことがありましたが、今回あらためてワシントン・DCに出向く機会がありましたので、久しぶりにその博物館へ行ってきました。

 


National Museum of American Indian, Washington, DC. 筆者撮影、9/12/2025.

 

この博物館は、スミソニアン博物館群の中では、米国議会議事堂に最も近いところにあるので、地下鉄のスミソニアン駅からは15分以上歩くことになります。 この博物館の滑らかな美しい曲線は、何千年もの間、風や水にさらされた自然の岩層を表現していると言われており、とてもユニークな建物です。

 

近年の米国では、その歴史的背景から、「アメリカ・インディアン」というよりも「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶほうが主流であると私は理解をしていました。しかしながら、歴史的な名称としての、「インディアン」に誇りをもつ人々にとっては、「アメリカ・インディアン」をあくまで自称とすることが大事であるという考え方もあることを知りました。

 

この博物館の4階と3階が主な展示場であり、2階はミュージアム・ショップ及び小展示スペース、1階は、カフェと劇場になっています。以前は、各部族ごとの生活や文化といった展示があったと思いますが、常設展も特別展も、一定の年数や期間によって変わっていきます。

 

4階の展示の最初は、先住民族の過去から現在までの自由なアート・ワークでした。下の2枚の写真は、1840年頃のミズーリ州の先住民族男性の服の表と裏です。鹿皮、馬の毛、ヤマアラシのトゲ、人間の髪の毛、ビーズや顔料などを使った服で、当時の様々な戦いの様子が描かれています。表は敵からライフルを奪い、自分の部族から尊敬を集めたといったことが、また裏は、ホワイト・スワン(White Swan)という戦士がライフルやピストルを持った敵と闘い、双方が傷つきながらも、彼が敵を倒したという様子が 描かれています。

 

 

Above and bottom: Man’s shirt, ca.1840. Upper Missouri region. Deer hide, horse hair, porcupine quills, human hair, glass pony beads, paint, pigment and sinew. 17/6345. National Museum of American Indian, Washington, DC. 

 

その次の展示は、アメリカ合衆国建国以前のヨーロッパ人達とアメリカ先住民との条約、そしてアメリカ合衆国と先住民との条約の歴史についての展示でした。。ヨーロッパ人が、アメリカ大陸に到来する前から、アメリカ先住民の人々は、互いに条約を結んでいたと言われ、ヨーロッパ人が到来してからも、それぞれに条約を結んでいました。アメリカ合衆国と先住民族との間で批准された条約は、中には、破棄されたり、時には強制されたものありましたが、374にも及ぶ条約がありました。

 

これらの条約のいくつかは、この下の画像にあるように、この国立アメリカ・インディアン博物館のサイト上でも見ることができます。

 

Nation to Nation Treaties Between the Unites States and American Indian Nations: 

https://americanindian.si.edu/nationtonation/

 

また、それらの条約資料は、米国国立公文書館のサイトともリンクしており、米国国立公文書館のサイト上にも、374に及ぶ条約の情報がまとめられています。それぞれの部族や地域によってぞれぞれに条約が締結されたのですが、これほどの数に及ぶ条約があったことさえ私は知りませんでしたので、衝撃を受けました。

 

展示ではいくつかの条約、その条約を締結するにあたっての双方の代表者、その条約の結果などについてそれぞれまとめられていました。アメリカ合衆国が建国される以前にも条約が締結されていた例としては、以下のような、1682年のレナペ条約(LenapeTreaty)というものがありました。

 



National Museum of American Indian, Washington, DC.

 

現在のニュージャージー州とペンシルバニア州にあたる地域に住んでいた先住民族のレナペ族と、ペンシルバニア州地域にやってきたイギリス人のクウェ―カー教徒のウイリアム・ペン(William Penn)が、当時のイギリス王チャールズ2世の承認をうけて、レナペ族の酋長であったタマネンド(Tamanend)と交渉し、彼らの土地を買い、その支払いは公正に行うこと、また先住民族の生活と伝統を尊重することなどを約束したものであったと言われています。そうした条約そのものは、現存していませんが、当時の友好の印とされたベルトのようなものは残っています。

 

その後しばらくは平和的な関係を維持することができたようですが、ウイリアム・ペンの死後の彼の息子たちの時代になると、それまでの関係が崩れしまい、レナペ族はその地を追われるようになり、カナダのオンタリオ州、米国のオハイオ州、インディアナ州、ウィスコンシン州、ミズーリ州、テキサス州、オクラホマ州、そしてカンサス州へと移り住むことを余儀なくされました。現在では、米国ではオクラホマ州とウィスコンシン州、そしてカナダのオンタリオ州の3つの地域にレナペ族は住んでいます。

 

 

National Museum of American Indian, Washington, DC. 

 

18世紀の実質的世界大戦と呼ばれたヨーロッパでのイギリスとフランスの7年戦争(1756-1763)は、北アメリカにも波及し、その支配権をめぐって、イギリスとフランスが、それぞれの植民地と先住民を巻き込んで争うことになりました。これはフレンチ・インデイアン戦争(1756-1763)と呼ばれました。当初はフランスが優勢でしたが、イギリスの軍事力の補給と先住民族側の協力もあり、最終的にはイギリスが勝利をしました。その結果、イギリスの北アメリカの植民地化への支配が強化されていきましたが、重税も負担となり、それは、次第にアメリカの独立戦争(1775-1783)への勃発に繋がっていきました。

 

アメリカ合衆国の建国以前においても、そして建国後も、先住民族の人々は、いろいろな形で協力を余儀なくされ、戦争の犠牲になり、またいろいろな条約のもとで、またはそれらの条約の破棄により、自分達の土地が奪われ、彼らの生活の基盤そのものがさらに奪われていきました。

 

以下の2枚の写真は、1820年から1890年の間に、非先住民族の人口が東海岸を中心に増加していたことを示したもの(茶色部分)と、1492年から1980年までの先住民族の人口の激減と非先住民族の人口の激増を示したものです。

 

National Museum of American Indian, Washington, DC.

 

こうした急激な変化の背景には、19世紀初めから20世紀初頭まで続いていた米国の、先住民族に対する文化同化政策もありました。この政策は、それまでの彼らの伝統的な生活様式や、資源だけでなく、言語、宗教、教育や土地制度などを、強制的に変えるもので、子ども達は強制的に寄宿舎学校に入れられたり、先住民族の住む場所を居留地にとどめるなど、「文明化」の名のもとに、先住民族のアイデンティティを根こそぎ破壊するようなものであったと言われています。

 


National Museum of American Indian, Washington, DC. 

 

3階の展示では、「アメリカ人/アメリカのもの」(Americans)というテーマで、米国社会では、昔から現在まで、いろいろな商品の名前や、兵器の名前、映画の名前他、いろいろなところで、アメリカ先住民族の部族の名前やイメージが使われてきたことについての展示でした。そうしたことは、一見当たり前のようでもあり、社会に馴染んでいるようにも思えます。しかしながら、それぞれのイメージは何を意味するのかといった提示をしており、この展示もいろいろ考えさせられるもので興味深いものでした。

 

National Museum of American Indian, Washington, DC. 

 

国立アメリカ・インディアン博物館のサイトの中の、オンライン展示には、この「アメリカ人/アメリカのもの」(Americans)があり、その中の「ギャラリー」では、一つ一つのアイテムをクリックできるようになっており、そのアイテムの写真とそれに関する情報がでてきます。とても面白いので、お時間があるときに是非見ていただければと思います。

Americans/Gallery:https://americanindian.si.edu/americans/#gallery

 


Above: A young Chickahominy girl holding a large porcelain doll. Virginia, 1918. Frank Gouldsmith Speck Photograph Collection, N12619. 

Bottom: Points the Gun (Apsáalooke (Crow) braiding her hair. Apsáalooke (Crow) Reservation, Montana, ca.1898-1912 Fred E. Miller Photograph Collection, N13736. 

National Museum of American Indian, Washington, DC.

 

 

上の2枚の写真は、20世紀初頭と思われる時代のバージニア州のチカホミニー族の女の子が陶器の人形を抱いている様子と、モンタナ州のアプサロケ族(クロウ族)の女性が髪を編んでいる様子です。これらの写真の原本は、国立アメリカ・インディアン博物館のアーカイブセンターにあります。このアーカイブセンターは、先住民族の人々の歴史的かつ現代的な生活に関する様々な記録の収集、整理、保存及び提供をしており、約450メートルに及ぶ写本や、50万枚以上の写真や、数千点に及び音声や視覚聴覚資料があるとされています。アーカイブセンターは、ワシントン・DCの博物館内ではなく、メリーランド州スーツランド市にある国立アメリカ・インディアン博物館文化資源センターの中にありますが、予約を取れば誰でも閲覧できるようになっているので、私もいつか訪れたいと思っています。

Archive Center:https://americanindian.si.edu/explore/collections/archive

 

米国の先住民族の歴史は壮大かつ壮絶なのだとあらためて思いますが、今後も学び続けて理解を深めていきたいと思います。(YNM)