米軍の商品開発

米軍で行なわれている技術的研究や開発というと、兵器や戦車、航空機などを思い浮かべますが、先日見た資料の中に私たちの周りのものも対象となっているのを見つけました。

そのうちのいくつかをご紹介したいと思います。

 

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主婦の友の付録と新聞広告

今回は、ここ最近私が見た米国公文書館の資料の中で面白いと感じた日本の資料をご紹介したいと思います。

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ケネディ大統領暗殺関連記録の一般公開

今月は、先日ニチマイ米国事務所のFacebookページ(https://www.facebook.com/pg/NichimyUS/)で反響の大きかった投稿記事、7月に米国国立公文書館により公開されたジョン・F・ケネディの暗殺関連記録についてご紹介します。

 

アメリカ歴代大統領の中で最も知られている大統領の一人、ジョン・F・ケネディ。1963年11月22日にテキサス州で行われたパレードに参加中、大勢の市民の目の前で暗殺されました。事件直後、犯人はすぐに逮捕されましたが、その犯人も逮捕から2日後拘置所に移送中に殺害されてしまいました。他にも事件に関わる人物が立て続けに死亡するなど奇妙な点が多いことから「陰謀説」を信じる人も多く、半世紀以上経った今でも、アメリカで起こった事件史上最大の謎の一つとして多くの人々に注目されています。

 

事件後に組織された調査員会の調査報告書は500万ページもの記録にのぼり、米国国立公文書館に所蔵されています。1992年に制定された特例法「President John F. Kennedy Assassination Records Collection Act of 1992」により、1990年代後半までにその88%の記録は一般公開済みとなり、今年の10月26日までにすべての記録が一般公開されることになっています。

 

今年7月に公開された約3,810点は、これまで非公開だった441点と一部公開だった3,369点のFBI、CIAの記録を含み、同館公式サイトより閲覧、ダウンロードすることが可能です。

https://www.archives.gov/research/jfk/2017-release

 

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Martin Luther King Jr

アメリカでは毎年1月の第3週目の月曜日をマーティン・ルーサーキング・ジュニアの日として祝日としています。日本では彼のフルネームよりも『キング牧師』という名称の方がより広く知られているかもしれません。時期外れではありますが、National Archivesのオンラインサービスで彼の写真やテキスト資料を見つけたのでそれらと共に彼にまつわる資料紹介をしたいと思います。

 

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戦後の静岡

資料調査をしていた時、一冊のアルバム資料が目に留まりました。それは、私の故郷に近い静岡県の写真資料でした。子供の頃から身近な存在として見て育った壮大な富士山、馴染みのある地名や風景がとても懐かしく感じました。今回は、そんな地元の写真資料の幾つかをご紹介しながら当時を振り返ってみたいと思います。

 

このアルバムは、戦後間もない1945年から1946年にGHQ下のC.I.C. (Counter Intelligence Corps) Area No.21 Shizuokaで民間情報部静岡支隊に所属していた一人のアメリカ軍人と日系アメリカ軍人によって撮影されています。地図や静岡県に住む人々の生活の様子や富士山を含む地元の風景写真があり、当時の様子を垣間見ることが出来ます。

 

下の地図はアルバムと一緒に保存されていた静岡市街の地図です。駿府城周辺に構えたC.I.C.の事務所や静岡県庁など主要箇所が記入されています。

 

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Righting a Wrong: Japanese Americans and WWII展

毎年5月はアジア・太平洋諸島系米国人の文化遺産継承月間となっている為、スミソニアン博物館を始め、色々なところで展示やイベントが開催されています。

 

アジア・太平洋諸島系米国人の文化遺産継承月間の歴史は、アメリカンセンターJapanのサイトによれば、上下両院で可決した法案を1978年10月5日にジミー カーター大統領がアジア・太平洋諸島系米国人の文化遺産週間として承認したことが始まりとなっています。1990年にはブッシュ大統領が月間に延長し、現在まで続いています。なぜ5月なのかというと、1843年5月7日に初めて日本人移民が米国に到着した事と1869年5月10日に大陸横断鉄道が完成した事を記念して選ばれたからのようです。(参照:https://americancenterjapan.com/aboutusa/monthly-topics/1949/

 

今回はスミソニアン博物館の内の一つ、国立アメリカ歴史博物館で開催中の”Righting a Wrong: Japanese Americans and World War II”展を見学に行く機会があったので、一部を紹介しようと思います。

 

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フォークダンスと娯楽

自分が小さかった頃と比べると、今は本当に娯楽の種類が多くなりました。子供たちは電子機器に釘付けですし、本場アメリカに負けないような大規模な遊園地ができたり色々な種類のスポーツも楽しめるようになりました。

 

偶然、戦後間もなくの娯楽についての資料を米国国立公文書館で見つけました。

長崎軍政府(Nagasaki Military Government Team)の書類で、ウィンフィールド・ニブロ(Winfield P Niblo)という民間情報教育局(Civil Education Officer)の教官の表彰、という内容のものでした。

ニブロ氏が表彰された理由は娯楽としてスクエアダンス(フォークダンス)を日本で広めたことでした。Wikipediaによると「日本のフォークダンスの父」とも称されたようです。

この書類がニブロ氏を推薦しているものです。

 

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100年前の日本:米国公文書館のデジタル写真画像から

米国公文書館のサイトで資料の検索をすると、以前と比べてオンラインで閲覧できる資料が増えてきたと資料のデジタル化が進んでいるように感じます。つい先日知ったのですが、RG165WWの写真資料はデジタル化され、リサーチルーム内にあるコンピューターに入っていて、デジタルでの閲覧が可能になっていました。165WWというのはRecords of the War DepartmentのAmerican Unofficial Collection of World War I Photographs, 1917 -1918のシリーズです。第一次世界大戦期の頃の写真なので100年ほど前のものです。調べてみると日本関係の写真もあります。これらの写真はオンラインでも閲覧でき、今回は、その中の幾つかをご紹介したいと思います。

 

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U.F.O

~Unidentified Flying Object ~

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米国のシベリア派遣軍に関する写真資料

今年2017年はロシア革命から100周年目になります。1914年7月に勃発した当時のドイツ帝国やオーストリア―ハンガリー帝国などの同盟国側と、フランス、イギリス、ロシア帝国、米国(1917年4月から参戦)など連合国側との間で起こった第1次世界大戦は、1917年の2月そして10月の2度にわたる革命がロシアで起こったときもまだ続いていました。

 

この革命により、ロシア中央部ではそれまで続いていたロマノフ王朝の絶対君主制(ツァーリズム)は倒され、世界で初めての社会主義政権であるソビエト政権が樹立されました。しかしながら、旧ロシア帝国の地方の地域では、反革命勢力が巻き返しを図り、革命軍と反革命軍の内戦が展開されることになりました。この内戦が全面的に拡大することになったのは翌1918年5月にシベリアで起きたチェコスロバキア軍の反乱がきっかけでした。もともとこの軍隊は、第1次世界大戦中に、ロシア帝国が、敵国のオーストリア―ハンガリー帝国軍のチェコ人捕虜とスロバキア人捕虜から編成したものでした。ロシア革命後はヨーロッパ戦線に送られることを前提として、シベリア鉄道沿いに留められていた軍隊でした。反乱をきかっけとしてこの軍隊は、ロシアの中央部のソビエト政権側には脅威を与えるものとなり、同時にシベリア各地に反ソビエト勢力を増大させることにもなりました。

 

同年8月には、チェコスロバキア軍団をロシア革命勢力から救出するという名目のもと、連合国側である、アメリカ、日本、イギリス、フランス、カナダ、イタリア、中華民国といった国々から、軍隊が派遣されることになりました。実際にはこの軍隊派遣は、それぞれの国の利権(シベリア鉄道に関わる利権や外資など)を保守するという目的があったものと言われています。

 

米国公文書館の中には、米軍のシベリア派遣に関する資料がたくさんありますが、今回は、American Expeditionary Forces in Siberia 1918-1919(米国シベリア遠征軍)の写真資料をご紹介したいと思います。場所は、シベリア、オムスク、スーチャン(現パルチザンスク)、ウラジオストク、バイカル湖周辺などであり、その内容は、アメリカ、イギリス、フランス、日本、ロシア(反革命勢力―白色)、チェコスロバキアなどの将校や兵士、捕虜となったロシア革命勢力(赤色)の兵士、ロシア難民、コリアンの人々、ぞれぞれの町や建物、市場、軍事活動や宗教的儀式、兵士の娯楽などといった多岐にわたるものになっており、当時の様子を理解するうえで非常に貴重な資料であると思います。

以下の2枚の写真は、1918年11月15日にウラジオストクで、アメリカの主導による連合国側で行われた平和行進であり、日本の軍隊も見えます。

 


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琉球切手(沖縄切手)

皆さんは琉球切手という切手をご存知でしょうか?昔の沖縄の切手…と、私は単純に思いましたが、実は、沖縄切手と呼ばれることもあるこの切手は、1945年(昭和20年)から1972年(昭和47年)の本土復帰までの27年間、アメリカ軍統治下にあった沖縄でのみ使用されていた郵便切手なのです。

 

琉球切手の特徴として、日本語で『琉球郵便』と印刷されているのですが、額面はアメリカ通貨である$(ドル)や¢(セント)が使われています。他に、漢字やカタカナ、アルファベットで切手の説明書きがされている種類の切手もあります。また、題材には沖縄の伝統芸能や民族行事、工芸品、亜熱帯の動植物など沖縄の自然、歴史、文化などを表現した絵柄が幅広く取り上げられた色鮮やかな切手なのです。

 

今回は、ここ米国公文書館2階にある資料の中から琉球切手の展示風景、はがき、綺麗な絵柄が印象に残る切手のほんの一部をご紹介したいと思います。

 


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