花嫁学校

1945年に日本が降伏し第二次世界大戦が終わると、日本は連合軍占領下となりました。そういう中で日本に駐留していた米軍兵士と仲良くなり結婚する日本人女性も少なからずいました。そういう女性たちのために「花嫁学校」(Brides School)というのがあったようです。

 

米国赤十字社が1951年から「花嫁学校」を始めました。この資料によると1957年まで続いたようです。

 

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ハワイの日系移民

今年は、ハワイ日系移民150周年、ブラジル日系移民110周年を迎える年であることを報道で知りました。日本人は世界各国に移民していますが、その中でもハワイが最初の集団移民の土地であり、一番歴史が長いことになります。

 

はじまりは、150年前の1868年に約150名の日系移民が日本からハワイに渡りました。当時、商人であり、また在日ハワイ領事でもあったユージン・ヴァン・リード(Eugene Van Reed)が江戸幕府との間の友好交渉で約300人分の渡航許可を受けていました。しかしながら、日本は幕末維新期の激動期にあり対応できず、また明治新政府は旧幕府と交わした交渉を認めませんでした。その為、既に渡航準備を整えていたヴァン・リードは明治政府に無許可で最初の日系移民をハワイに送り出したそうです。この年は、明治元年にあたり最初の移民者を『元年者』と呼ぶそうです。(参照:ハワイ日本人移民到着150周年記念を祝して:https://kizunahawaii.org/

 この節目の年に、ここ米国国立公文書館に当時の関連資料はあるのだろうかと興味がわきました。ハワイ日系移民の関連資料の多くはサンフランシスコの分館に所蔵されているようなのですが、今回は米国国立公文書館のサイト上やここに保存されている一部の資料をご紹介したいと思います。

 

こちらは、日系移民が最初にハワイに渡った年と同じ1868年に記録され米国国務省が保管したハワイ政府の覚書です。この中の一面に、議会でのハワイ国王(ロト・カメハメハ - カメハメハ5世)の声明文がありました。そこでは、日系移民や貿易について次のように触れており、『Our negotiations with Japan have, so far been successful. Important and favorable results may be expected from the opening of trade with, and immigration from, that kingdom. 』(日本との交渉はこれまで成功しており、ハワイ王国との貿易開始や日本からの移民が重要かつ有効な効果が期待されるであろう。)としています。

 

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義和団の乱の写真

米国公文書館の写真資料室の壁際にはキャビネットが並んであり、資料請求のための手助けとなる各レコードグループのフォルダーが入っています。たまたま開けた引き出しの中に、Boxer Rebellionとタイトルのついたフォルダーがあり、写真が入っていました。これらの写真がとても興味深く、今回はそこにあったいくつかの写真をご紹介をしたいと思います。

 

Boxer Rebellionとは中国の義和団の乱のことです。1900年6月、義和団が北京にある公使館区域を包囲攻撃しました。その義和団を清の西太后が支持し、欧米列強に宣戦布告をしました。これに対し、日本、アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア=ハンガリーの8カ国の連合軍で、出動し、約2か月後に北京を制圧し、他の地域も含めてこの乱を鎮圧しました。

 

ここにある写真に目を通してみると、1900年から1901年までの中国の風景や建物、アメリカ軍だけでなく、日本やインド兵を含むイギリスなど各国の軍服や装備なども撮影されています。

 

近年、中国は経済的発展が目覚ましく、新しい建物が立ち並び、昔と様子がかわってきていますが、中国と言えば広大な土地と歴史的建造物を連想します。

 

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GHQ資料で見つけた引揚者たち

米国公文書館ではRG(レコードグループ)331にSCAP(Supreme Commander For the Allied Powers)の資料があります。SCAPは通称GHQもしくは進駐軍と呼ばれています。

その資料の中に引揚者に関するものを見つけました。この資料は共同写真通信からの写真のコレクションです。

弊社ブログ2015年5月12日付の「戦後の引揚~シベリア抑留者の帰還」がありますが、それも合わせてお読み下さい。

 

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Amelia Earhart (アメリア イアハート)

日本でも一度はこの名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?米国のカンザス州出身の女性飛行士で1932年に女性としては初めて、大西洋単独横断飛行を達成したことで広く知られています。米国では女性飛行士という肩書きや彼女が成し遂げた異例の飛行経験以外にも彼女の人柄を好む人が多くいたようで、彼女は米国でヒーローのように扱われたということです。しかし、着実に飛行士としてのキャリアを積み上げていた真っ最中、1937年、39歳の時に飛行機遭難事故により失踪し、2年後には死亡声明が発表されました。このアメリア メアリー イアハートの最後のフライトとなった飛行機遭難事故が彼女を最も有名にした事柄といっても過言ではありません。今回は米国国立公文書館にある、アメリアに関連した資料の紹介をしたいと思います。

 

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